奇 跡 

 

 流川が本当に初めてだったのか、花道にはわからない。そして、特に怒った様子もなかったと思う。
 こんなにも痛いことを流川は受け入れてくれている。そう考えると、呆然とするほど感動した。
 今更だけど、嫌われてはいないと思う。ただ、いつでも離れてオーケーという態度に、花道は少し不安になる。
「まぁ…いつまでも一緒ってワケには……」
 そう思うけれど、なんとなくずっとこのままだと思っていた。お互いに別のチームのトライアウトと受けて、採用されなくてホッとした、とは、流川に言えなかった。

 その年の年越しは、流川はすべての誘いを断った。花道は、そのことをチームメイトから聞かされた。
『両親が来るんだってな』
『……へー…』
 花道はちょっと驚いた、という表情になるように努力した。
 その話を聞いた夜、花道は食事中に流川に尋ねた。
「あの…ご両親はくる…いらっしゃるのか?」
「……ヘンな言い方」
「うるせー……ここに泊まるとかなら準備しなきゃいけねーし…」
「……泊まらねー」
「そっか…」
 流川はお箸を置いて、花道の目をじっと見た。
「誰にも言うなよ…あれは単なる断り文句だから」
「………は?」
 花道は首を傾げた。
「滅多に使えねー話だし、もうケーキはゴメンだ」
「……おお…」
 理由はよくわからないけれど、パーティには行きたくないということなのだろう。
 花道はどうしたら良いのだろうか。
 流川のいないパーティなど面白味に欠ける。そんな風にまずは思ったけれど、家で二人で過ごせるなら、その方がずっといいと正直思った。
 しばらく待ってみても、流川は誘ったりしない。花道も「じゃあオレも」とはすぐ言えなかった。
 結局、その年のクリスマスも年越しも、二人きりで過ごした。

 バレンタインを過ぎた頃、花道が体調を崩した。流川が知る限りでは、これが初めてだった。
「インフルエンザだって」
 どれだけ体力があっても、罹ることもある。流川もあまり風邪すら引かないので、花道の体調の悪さに気付くのが遅れた。
 花道の部屋に入ると、苦しそうな呼吸が聞こえる。濡れタオルを頭に置いても、すぐに温くなった。
「桜木…クスリ…」
 何度か同じ言葉をかけて、花道がようやく目を開けた。熱っぽさのせいか、いつもより開かないようだった。
「ルカワ…うつる…あと自分でやるから…」
 花道のひどい声に、流川はため息をついた。
「オレはインフルエンザなんかかからねー…大人しく言うこと聞け」
 痰の絡んだ花道の喉が笑った気がした。
 せめてマスクをしろと言われたので、流川は素直にマスクを着けた。
 何も食べたくないという。ポカリスエットだけで良いのだろうか。きっと点滴をすると楽になるんだろうな、など流川はいろいろ考えた。
 解熱剤で少し熱が落ちついたときに着替えや食事をする。
「おかゆ…ってこーいうときうめーな…」
 流川は初めておかゆを作った。ほんの少量なのに、それすら残す花道が心底心配だった。いつになったら、いつもの大食らいに戻るのだろうか。
 もし一人暮らしだったら、こういうときはどうすればいいのだろうか。
 親しい友人にお願いするか、自分で何とかするしかない。
 いま流川が花道のお世話をするのは当然だ、と流川は思う。ただ、もちろん移るのは嫌なので、そこだけは注意しようと思う。自分でそう思っているのに、流川は花道にマスク越しに一度だけキスをした。

 

 その年のエイプリルフールに、流川はまたチームメイトから同じような嘘をつかれた。
『花道が移籍だってよ』
 確か、昨年も違うチームメイトから聞いた。花道に限らず、いろんな人が別の人のことを話す。あくまでジョークだと流川は思った。
『いやマジだって』
『……へー』
 全く信じていない声で流川は応じた。
 その後、あまりにも具体的な時期やチーム名まで出てきて、「おや」とは思った。けれど、手の込んだいたずらだと思いたかった。花道が練習中に目をそらしたのも、演技の一つだろうと。
 けれど、それは本当の話だった。
「いつ…?」
 いつの間に声をかけられていたのだろうか。
 昨年の夏頃、花道を褒めてくれる人がいたらしい。その後、本格的にスカウトされたのはバレンタインの頃だという。
 そういえば、花道がそんな話題を出し始めたのは夏だった。七夕だったと思う。
 花道が今のチームより上に行くのは仕方ない。ずっとずっと上を目指しているのだから、喜んで飛びつくだろう。流川にはその気持ちが痛いほどわかる。
 けれど、自分を追いかけていたはずの花道が自分よりも前へ行くという。そして、半年以上黙ったまま一緒に過ごしていたのだ。おそらく花道なりに悩んで、インフルエンザにまで罹ってしまったのだろう。
 花道に良かったなと言いたい気持ちと、悔しく腹が立つ自分を持て余して、流川はその後無言のまま固まった。
 その日の日付が変わる頃になって、流川はしぼり出すような声で「おめでとう」と言った。
 花道はかえって苦しい気持ちになった。
 追い抜かしたとは思えなかった。
 今でも流川の方が得点数は多い。ポジションの違いもあるけれど、花道の方が出場時間が長いのに、得点は流川の方が上なのだ。どんなときに流川が投入されているか、はっきりとわかる。
 流川には言えないけれど、体力の差だと花道は思う。決して流川を負かしたとは思っていない。今でも敵わないと強く思う。
 それでも、流川のプライドをかなり傷つけたのがわかった。

 エイプリルフールから花道が引っ越す5月下旬まで、二人は必要最小限の会話しかなかった。何度も流川に早く引っ越すように言われたけれど、交渉できなかったと言い訳をして居座った。流川との暮らしが終わろうとしている。キスより前の関係に戻ることもできず、空気は重いままだった。
 引っ越し当日は、花道は流川に家にいるように話した。
「オレは手伝わねーぞ」
「…うんそれはいーけど、物を盗られたくなかったら、見張ってろよ」
 なるほど、と流川は納得して、当日ずっと自分の部屋の前に立っていた。誰か知らないけれど、花道の少ない荷物を運びに来ている。本当に引っ越すんだな、と流川は実感しながら見ていた。
 大きな家具はここのもので、作業はあっという間に終わった。あのベッドは処分するらしい。新しいルームメイトがシングルは嫌だと言い、花道は新しい住居に持っていかなかった。
 流川は両腕を組んだまま、片足を少し崩していた。花道が近づいてくるのを横目で見ていた。
「じゃあ…」
「…ああ」
 今は家に二人きりだ。ぎこちない声がやけに大きく響いた気がした。
 花道が流川の腰を掴んで引き寄せた。流川は逃げなかったけれど、近づいてくる花道の顔を手のひらで押さえた。
 やっぱりダメかと花道は思いながらも、キスする予定だった唇を手のひらに当てた。腰に回していた左手で流川の右手を引き離し、まるでお姫様にするように指先にキスをした。手のひらをギュッと握って流川を見つめると、少し表情が柔らかくなった流川が見つめ返していた。
 ゆっくりと顔を近づけて、触れるだけのキスをする。流川がすぐに目を閉じたのが、睫毛の動きでわかった。腰を力強く引くと流川の空いている手が花道の胸に当てられた。
 花道の胸がキュッとなった。そういえば、流川はこれがわからないと言っていたことを思い出した。
「胸がキュン? 病気なんじゃねーのか」
 そんなセリフを思い出し、クスッと笑いそうになった。
 ほんの少し深いキスを始めたとき、外から車のクラクションが鳴った。
 ゆっくりと互いの体を離してから、花道は流川の目をまっすぐ見た。
「じゃあな…ルカワ」
「…ああ…」
 玄関のドアが閉まる音が、やけにはっきりと聞こえた気がした。
 流川はガランとした花道の部屋をのぞいてみて、その場に座り込んだ。

 

2015. 6. 5 キリコ
  
SDトップ  NEXT

タミフ○などがなかった時代のインフルエンザは
それはそれは大変なものでございましたw

次回から現代?赤木氏披露宴のあとに戻ります。