奇 跡
その後、流川をもう一度射精させてから、花道は流川をおんぶした。新しい浴衣を着せたとき、丈が合わないことに気が付いた。そのままベッドに倒れ込むと、流川は花道の肩に腕を回した。花道が体をずらしても、右腕だけはまだ離れなかった。
「あれ…?」
花道が枕に倒れ込むと、その腕もそのまま付いてくる。これでは、花道が流川に腕枕されていることになる。
「あの……ルカワ?」
流川がすでに眠りかけているのがわかる。それでも落ち着かなくて話しかけた。
「……こーするモンなんだろ?」
少し喉で笑った音が聞こえた。花道がもう一度問おうとしたとき、流川の右腕はシーツに滑り落ちた。
体を横にして流川にくっついてみる。腕枕される側というのはこういうものなのか。見上げると、少し口を開けたまま眠りに落ちた流川の横顔が見えた。その顔をじっと見つめているだけで、じわじわと涙が浮かんでくる。
「うわー…なんでこんな…」
こんなに自分は涙もろかっただろうか。嬉しい気持ちと、果てしない後悔が混ざった、複雑な涙だった。
またこうして一緒にいられて幸せな気持ちだった。もしかしたら一時的なことになるかもしれない。それでも、花道はやはり流川が好きだと再確認したし、流川が以前とは違うことも強く感じた。アメリカから戻る道中の流川とは別人のようだった。
離れるべきではなかった、と心から思った。もちろんバスケットで上を目指すことは当たり前のことだ。誰もがそうだし、花道もそう思っている。けれど、自分のバスケットに流川がいないことに強く違和感を感じた。敵同士で同じコートに立ったことはないけれど、きっとそれもおかしく感じる気がする。同じベンチで、同じユニフォームを着て、出来れば一緒にコートに立ちたい。そうしておくべきだったと花道は目を閉じた。
流川から離れた自分は弱かった。バスケットだけではなく、人間関係を強く求めて流川から逃げていた。他の誰かを抱きたいと願っていたわけではない程度の気持ちで、そういうことをしてしまったのだ。自分の不実さを罵りたかった。
流川はどうなのだろうか。今も誰かと付き合っているのだろうか。
それでも、離れていた間のことを聞くよりも、今の空気をもっと味わっていたい。これも逃げなのかもしれないけれど、雰囲気の変わった流川にまた花道は良い意味で翻弄されていた。
「寝にくい…」
流川の肩に頬を当てて、呼吸で上下する胸をじっと見つめる。手のひらを胸の上に置いて、その呼吸を見守った。
自分たちはいったいどこへ向かっているのだろうか。
こんな流川はきっと誰も知らない。今日会った誰もが想像もつかない部分を花道は知っている。どんな料理が得意とか、どんなペニスとか、弱い部分もだ。冷たい物言いをしているように見えるけれど、ストレートに言っているだけで悪口ではない。実は優しいのでは、と花道は何度か感じた。興味のないものには容赦しないけれど、好きになったらトコトンだ。
「これはみんな知ってるか…」
花道は目を閉じて小さく笑った。
どんなに乱れて、どんな風に花道を受け入れるのか、誰も知らない。もちろん誰にも話したくはない。花道だけが知る流川の姿だからだ。
けれど、実際どうなのだろう。
今日の結婚式や披露宴を見ていて、つい自分と照らし合わせてしまう。誰かに流川とのことを話せるかと問われれば、花道は返答に困るだろう。一緒に住んでいたとき何度か疑われたが、誤魔化すことも下手だったと思う。正直に話しても、誰も認めてくれないかもしれない。友人や家族を失うことになるのだろうか。今日の赤木たちのように、大勢の人に祝福してもらえる関係ではないのか。二人ともドレスを着ることはできないので、タキシードで神の前で誓い合うことは…。
「…ど、どーだろ…」
突然こんなことを考え始めたので、花道はなかなか眠りに落ちることができなかった。流川は妊娠することはない。プロポーズをしても結婚することはできない。何と言っても男同士なのだ。男同士が家族、というのは、おかしいのだろうか。
それならば、傷の浅い今のうちに離れておくべきなのか。
「……ムリ…」
それができるならば、今日ここへ来たりはしない。
花道はため息をついて、いろいろな考えを頭から追いやった。
先のことはわからないけれど、今はこうしていたくて、流川が逃げないのなら良いではないか。誰にも迷惑をかけていないと思うし、今はただただ流川を大事にしようと強く思った。
花道は流川の腕から抜け出して、流川の首の下に自分の腕を差し入れた。
好きな人の肩を抱いて眠りに落ちることができて、幸せだと思った。流川が目覚めたとき、また場所に戸惑ったけれど、すぐにホテルだと思い出した。カーテンは閉じていたけれど、外が明るくなっているのがわかる。起きようか迷ってまた目を瞑ったとき、目覚まし時計が鳴った。
「…どこだ…」
確かに自分でセットした。けれど、解除ボタンがよくわからなかった。左腕を伸ばしてパタパタとあちこちに触れる。やはり起きあがらないとダメかと思ったとき、目の前が急に暗くなった。
「んもーーーウルセーなぁ…」
自分以外の声に、流川は目を見開いた。すぐ目の前に花道の横顔がある。上半身を起こして腕を伸ばして目覚まし時計を止めようとしている。花道が流川の肩を抱いていたらしいのに、花道が起きあがったので腕が半分抜けた。
「あ…起きてたのか」
ごく至近距離で見下ろされて、流川は動揺した。
慌ててベッドから下りようとして、小さく回転しながら床を目指した。足が絨毯についたとき、思ったよりも力が入らなくてその場に座り込んでしまった。
「オイ…だいじょぶか?」
花道がふとんから出てこようとする。すぐ目の前に素っ裸の花道がいた。
流川は顔を上げずにシーツに顔を埋めた。自分の表情がおかしい気がしたのだ。うまくポーカーフェイスを作ることができなかった。
ベッドから飛び降りた花道が流川のそばに座った。肘を捕まれて、流川の体はビクッと反応する。そのままゆっくり立ち上がらされ、花道は流川を緩やかに抱きしめた。
「おはよ」
耳元でそんな言葉を聞くのは初めてで、流川の頬は熱くなった。
ベッドを共にして、一緒に朝を迎えたのだ。昨夜は濃厚な時間だったと流川でも思う。お互いを確かめ合うような動きだったと感じた。
花道の肩越しに鏡があり、自分を抱きしめる花道の裸の背中が見えた。その浮き出た肩胛骨に指を這わせると、鏡の中も自分も同じ動きをした。
本物の花道だ。
昨夜もそんな風に思った。
流川は目を閉じて、「シッパイなんかしてねー…」と口の中で呟いた。
次回更新は、6月19日(金)です。