奇 跡 

 

 なんとなく目も合わせないまま、ホテルの朝食を食べた。周囲の視線を気にしないようにしていても、見られている気がして落ち着かなかった。
「なぁルカワ……ゴリたちも来たりするかな…」
「……スイートだったら部屋じゃねーのか」
 なるほどと花道は頷いた。自分で何気なく思いついた疑問だったが、そういえば赤木もここに宿泊しているのだ。
「ゴリがケッコンねぇ…」
 昨日この目で見たはずなのに、信じられなかった。
 それから二人で電車に乗ると、また誰もが自分たちを見ている気がした。単に身長が高いから目立っているのだと思いこみたかったけれど、流川は何度か握手を求められていた。サングラスに腕組みをして近づくなオーラを出していても、ファンには関係ないのだろう。
 ほとんど何も話さずにいたけれど、花道の降りる駅に近づいたとき、花道は流川の方を向いた。
「ルカワ……オレん家よってかねぇか」
 サングラスのまま流川は花道を見たけれど、眉が少し寄ったのがわかった。
「午後から忙しいンだろ? すぐ送ってくから」
「……わかった…」
 その日は少し雲が広がっていて日差しは弱いけれど、歩いていると暑かった。
 流川は花道の家を知らなかった。初めて訪れる家に昨日から着たままのスーツやシャツで良いのか一瞬悩んだ。
 花道の家では、母親が出迎えた。サングラスを外して丁寧に挨拶をした流川の前で、花道は母親に怒られ始めた。
「流川くんを連れてくるなら、事前にいって頂戴」
 それから息子がお世話になって、という挨拶が始まり、お茶菓子が何もないと呟きながら出ていった。
「お気遣いなく…」
 流川は玄関に向かって言った。全く間に合わなかったし、実際長居するつもりはなかったので、少し戸惑った。
「ルカワ、こっち」
 花道の部屋だと案内された。実際にはもう花道のものだった気配はなく、散乱した衣服は花道もものだとわかる程度だった。
「もー日本に戻ってこねーって思ってるみたいだ」
 部屋の入り口から流川は動かなかった。
「親父にも紹介するからよ」
 そう言いながら花道が導くままに、流川は静かについていった。他に人の気配があっただろうか、と思う間もなく、和室の仏壇に案内された。
 流川は花道の家族を何も知らないことに今気が付いた。
「高校入る前に倒れてよ……そのまま…」
 仏壇に向かって花道が何やらたくさん話し始める。そこに自分が入って良いものか、流川はしばらく考えた。けれど、その内容が流川についてだったので、花道の横に座った。
 あまり誰にも話したことない過去を、花道は流川に話し始めた。桜木軍団は知っているけれど、高校以降の誰にも説明していない。
「だから…ホントはオレが殺したよーなモンなんだ」
 少し自嘲気味に言う花道の横顔を、流川はじっと見つめた。
「……さっき…びょーきって言わなかったか?」
「…うん……そーなんだけど…」
「テメーが殴り殺しでもしたのか? 首しめたとか?」
「そ、そんなことするワケねーだろ」
「…じゃあ、病気で亡くなったんだろ……テメーのせいじゃねー」
 まっすぐに視線を合わせて、流川が淡々と話した。
 父親が亡くなったとき、母親や親戚も、桜木軍団も周囲の大人たちも、同じようなことを言っていた。けれど、花道の心はそれに響かず、自分を責め続けていた。
 それなのに、今ふと心が軽くなったのはどうしてだろうか。
 流川に言われたからだろうか。彼は慰めることなどないと知っているから、本心だとわかったからか。それとも、自分がそういう言葉を受け入れられるくらい大人になったからだろうか。
 花道は目をギュッと閉じて一度俯いた。
「ルカワ…」
 その名前を呼びながら、花道は流川に抱きついた。流川が戸惑いながらも、片手を花道の肩に置いて、軽く何度か叩いた。

「送ってくって…チャリか…」
 短い時間だったけれど、花道の母親と3人でお茶を飲みながらアメリカの生活を話した。
 花道はすぐに自転車を引っ張り出してきた。
「日本の免許持ってねーもん」
「…なるほど」
 そういえば流川も日本では運転できないのだ。幸い、天候がまたどんよりし始めて、先ほどよりは楽だった。
 花道の後ろに乗りながら、流川はあまり見慣れない景色を見つめていた。花道の両親だったり、誰かがいないと今の自分たちはうまく会話をすることが出来なかった。アメリカに来る前に花道は免許を取ることができたのではないのだろうか、など、聞いてみようかとも思った。けれど、うまく言葉にできないまま、ときどき花道の背中を視線を向けた。
 流川が黙ったままでいても花道は迷いなく走っている。だから、花道が自転車を止めたのが湘北高校の前だったとき、ようやく驚いた。
「なんか…ガッコの近くなんだよな?」
「……知らねーまま走ってたのか」
 ごく自然に流川はため息をついた。
 高校時代、自分たちは全く親しくなかったのだ。今日はいろいろな場面で、そのことを再認識した。
「…あっち」
 流川はそこから指さしながら、花道を誘導した。
 家の前に着いたとき、今度は流川が花道を誘った。
「ちょっと……よってくか…」
 ものすごく小さな声だったことにも驚いて、花道は背筋が伸びた。
「は…ハイ」
 先に家に入った流川が何やら説明しているのが聞こえる。すぐに花道は手招きされて、広い玄関に並んで立った。
 流川の家族が揃っているらしく、全員に出迎えられる。花道の母親と同じように、息子がお世話になって、と言われると、花道は首を縮めて頭をかいた。これほど気まずい思いをするとは思わなかった。
「すぐ帰るから」
 流川がそう言いながら、花道を案内する。階段を上った先で流川がドアを開けたので、花道はスルリと入り込んだ。
 ドアの前で気を付けの姿勢のまま、花道は流川がエアコンをつけたり、服を着替えたりするのをじっと見ていた。初めての部屋は落ち着かない。そして、ここは流川の部屋なのだ。アメリカに行く前に使っていただろう机やビデオなどが並んでいる。見覚えのあるスーツケースにホッとした。
「…待ってろ」
 流川が部屋から出ていくと、花道はかえって落ち着かなくなった。クーラーの涼しい風に汗が引いていく。けれど、心拍は跳ねて、手のひらの汗は増えていた。
「いつまで立ってるつもりだ…どあほう」
 柔らかい口調で言われて、花道は少し体の力を抜いた。机に置かれたアイスコーヒーのグラスを見て、喉が渇いていることに気が付いた。
 二人とも入り口で座り込み、しばらく無言でアイスコーヒーを飲み、ストローで最後の液体をズズズっと音を立てる。それが響くくらい、静かだった。
 流川がグラスを置いて、花道の方を見ないまま呟いた。
「…ダレも来たことねー」
「……へ?」
「よんだことない」
 抑揚のない声に、花道は理解するのに時間がかかった。
 この部屋に招かれるのは花道が初めてだと、流川は言っているのだろうか。
 花道の頬はすぐに熱くなり、またストローで音を立てた。
 隣の流川が顔を近づけてきて、瞼を少し伏せる。
 ああそれその顔。
 これまで何度も思った。昨日もたくさんキスをしたけれど、流川の部屋でと思うと、一層心拍が踊った。
 

2015. 6. 19 キリコ
  
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