奇 跡
流川は自分の胸に振り回されていた。一度自覚すると、何かのきっかけでまたギュウと鳴る。キュンというよりは、苦しい気がした。
花道のことを考えたときだ。
流川はようやく自分の気持ちを自覚した。きっと、もっと以前からこんな想いだったのだろう。そうでなければ、キスが気持ち良いはずはない。そもそも、それが出ていく条件だとしても、簡単にキスできる相手ではなかったはずなのに。
「テメーのせーだ」
なぜ二人がこんな関係になったか、という話を、砂浜でした。
「テメーがキスしろっつったから…」
流川はそう文句を言ったけれど、花道の反撃に言葉を続けることができなかった。
「お、オレはキスしろとは言ってねーよ。キスできたら、って…」
花道も、ふと思いついたことだったけれど、どれほど出ていきたくても、それだけは自分にできないだろうと思ったことを言ったのだ。それなのに、意外にもあっさりキスをされて、しかも流川はずっと一緒に暮らしたままだった。
そんな過去を思い出して、流川は頬が熱くなった。
昼間に花道と別れたあと、いろんな人に挨拶をした。その間も花道のことばかり頭にあって、不思議な気持ちだった。花道が置いていった電話番号に電話することもできないまま、夜には早くに部屋に閉じこもっていた。日本の実家にいるのに、一人でいたかった。滅多に帰省しないのだから、と自分に言い聞かせても、誰とも顔を合わせたくなかった。
ベッドに転がっているとき、窓にコツンと何かが当たった音がした。それが花道とは思わず、しばらく無視していた。そんなことをする人間がいるとは思わなかったからだ。
花道を前にして、流川は自分の思う通りに口を開けないことに気が付いた。昨夜ホテルで過ごしたあとから、ずっとそうだ。
今の自分は、花道からどう見えているのだろうか。
流川自身、自分の行動がおかしいと思った。意味のないことを体が勝手にしてしまう。深層心理で望んでいるのだろうか。そんなことを考えたこともなかったのに。
誰かに寄り添ったり、甘えたりすることは、流川には経験がない。
人を好きになったら、誰もがこうなのだろうか。帰っていく花道が恋しいと思った自分に戸惑った。花道が見えなくなるまでその背中を見続けた。
こんな無駄だと思えるようなことをする自分を、流川は少しずつ受け入れ始めた。
花道が会いに来てくれて嬉しいと伝えれば良かっただろうか。素直に言うことはできないだろうけれど、たぶん間違っていないと思う。花道も自分に会いたいと思ってくれていたと感じたから。次の日の朝、流川は家族に挨拶をしてから駅へ向かった。家族に果たしてまたいつ会えるだろうか。しばらくの間はそんなことを考えたけれど、花道の駅が近づいてきたとき、流川は少し動揺した。そんな自分が不思議に思えて、とりあえずサングラスをかけた。
待ち合わせ場所で、花道は目立っていた。長身の上に赤い髪だ。遠目でもわかる。けれど、流川は一度サングラスをずらして確認した。
「…桜木?」
「…うん?」
流川の目が見開いたまま、じっと花道を見つめていた。
「ああ。コレな…」
昨夜までリーゼントだった花道が、赤い髪のままボーズになっていた。
「気合いってヤツかな…」
花道が一人で話し続けている間に、車に到着した。流川はまたサングラスをかけた。
流川のスーツケースを持っていた花道の姿を、桜木軍団はじっと見つめていた。
3列シートの真ん中に二人で座らされ、前と後ろから賑やかな声が聞こえる。ぎこちなさを感じていたのは流川だけのようで、久しぶりだというのに誰もが当たり前のように流川に接してくる。高校時代、特に親しくした覚えはなかったのに。
5人の会話を聞きながら、流川はときどきぼんやりと外を眺めた。たいして面白くない景色だけれど、送ってもらっているのに眠るわけにはいかないと思う。会話は高校時代や赤木の結婚式などが多く、また流川がアメリカに行ってからの湘北バスケ部の様子についてもあった。流川だけがわからない内容にならないように配慮されていたと、流川は後で気が付いた。
「それにしてもさー…あのゴリがケッコンねぇ」
「オメーそれ3回くらい言ってねーか?」
全く同じ会話を4回はしていると流川は思った。けれど、流川はいちいち訂正しない。わかっていてやっている彼らのじゃれあいなのだから。
「そういえばさ」
一瞬静かになったときに、運転席の洋平が話し出した。
「花道たちはケッコンしねーのか?」
その質問に、花道も流川も背筋が伸びた。あとで振り返ると、ごく差し障りのない問いだったのだ。けれど、そのときは二人とも深読みをしてしまった。
「え……オレらは…男どーしだし…」
花道の答えを聞いて、流川は思いっきり足を蹴飛ばした。
「イッてーな! ナニすんだルカワ」
そう怒鳴られてから、流川もハッとした。過剰反応しすぎた自分に大きな舌打ちをした。
そういえば、花道は桜木軍団に何か話しているのだろうか。アメリカでのことや、日本に帰国してからのことも、彼らは知っているのだろうか。
流川は小さくため息をついて、それからの道中は寝たふりをすることにした。
花道はしばらく頭にハテナマークを浮かべていた。結局最後まで首を傾げたままだった。
車から降りたとき、流川はどんよりした天気と同じ気持ちだった。送ってもらってありがたいとは思うけれど、品定めされているような、からかわれる対象になるのは流川は嫌だった。
今も花道は荷物を下ろしながら、ワイワイ言われている。花道はいじられキャラだなとじっと見つめた。
「ルカワ」
気が付くと洋平が自分の隣に立っていた。
流川はサングラスのまま洋平に視線を送った。
「花道のこと、よろしく頼む」
まるで親のようなことを言う。流川は何も言わず、次の言葉を待った。
「アイツは…昨日もルカワの話ばっかりしてた」
やはり知られているのだろうかと、流川は視線を真正面に戻したとき、洋平が続けた。
「バスケのこととか、一緒にいたときのケンカとか…そーいう話な。それ以外は何も言ってねーよ」
けれど、自分たちにはわかるのだ。
そう心の中で言っている気がした。流川はまた洋平に視線を戻して、少し見つめ合った。
流川はサングラスを外してから、首をゆっくりと上下に振った。言葉はうまく出てこなかった。
最後まで賑やかだった桜木軍団を見送ったあと、二人で歩き出した。
ふと、もうすぐお別れなんだな、と流川は思い、ほんの少し俯いて歩いた。
次回更新は、ちょっとわかりません…
中途半端なとこですみません…