奇 跡
花道は飛行機の中で、突然理解した。車の中での会話の意味と、流川が蹴飛ばした理由を。あのとき、まだ結婚は考えてないなど、適当に答えても良かったのだ。花道は、流川とのことを聞かれたと感じた。
「あれ……アイツら…あれ?」
流川とのことは当たり障りない話をしていたつもりだった。こんなに深い関係だとは一言も言っていなかったはずだ。
隠し事はできない相手だ。察しが良いし、花道は誤魔化すのが下手だと思う。
「まぁ……いっか…」
具体的なことは何も言われなかったけれど、大反対されているというわけではなさそうだ。
花道は、すでに薄暗くなった飛行機の中で背中を伸ばした。
隣を見ると、流川が肘をついて俯いている。眠っているのかわからないけれど、消灯してからずっとその姿勢だった。空港に着いてから、ほとんど会話をしていなかった。
しばらくじっと流川を見つめてから、花道はゆっくりと左手を伸ばした。腹部までかけている毛布の下で、流川の指を掴む。流川が寝ていても、そうしていたいと思った。
流川はビクッ驚いて、それから花道に指を絡めた。ずっと俯いたままだけれど、流川は眠っているわけではなかった。
当の流川は、二人きりになってから、ずっと戸惑ったままだった。離れるのが寂しいと思うのだろうか、花道はこれから上のチームに所属するのだろうか、いわゆる告白というものをするべきなのか。様々なことを考えて、答えのでないまま堂々巡りだった。
花道もほとんど何も話さない。けれど、先ほど掴んだ指を絡め直されて、流川は素直にそれに合わせた。思えば手を繋ぐことも珍しいことだった。花道とだけではなく、流川はあまり手を繋いだ記憶がない。握手なら一瞬なのに、ずっと手を重ねているとお互いの体温が混ざり合うように感じた。
通路を誰かが通るたびに、ほんの少しドキッとする。薄い毛布の下を見られたら、と想像する。男同士の自分たちは、やはり堂々としていることはできなかった。この想いに恥ずかしい気持ちはないけれど、周囲の目は常に気になった。バスケット選手として活躍できなくなるような事態は絶対に避けたかった。
流川は、花道に何も言わないと決めた。すでにお互いの気持ちがなんとなく伝わっている。付き合ったり、たとえばデートしたりするような関係になりたいわけではないと流川は感じている。今後、二人に赤木のような未来は来ないのだ。じゃあどうしたいのか、と何度考えても、流川にはわからなかった。
「そばに…」
以前のように一緒にいられたら、とは思う。あの生活は、今思い出しても心地よいものだった。けれど、遠距離の付き合いなど考えられなかった。これから選手として生きていくのなら、どこのチームに行くかもわからないし、一緒にプレイする機会はほとんどないだろう。
流川は一度静かにため息をついた。指に力を込めると、花道も同じように握り返してくる。この手はアメリカに着いたときにはもう繋ぐこともできなくなる。流川は俯いたまま何度か瞬きをした。アメリカの到着ロビーで、流川は帰ってきた気持ちになった。こちらでの生活も長くなってきて、今ではこちらが日常だ。短い休暇が終わったと感じた。
そして、半歩後ろを歩いていた花道を振り返り、花道との時間もこれまでだと思った。こういうとき何というか、流川は考えていなかった。
花道はやや俯いたまま、何も言わなかった。自分と同じように言うべきことがわからないのだと思い、流川もただじっと花道を見つめた。
バイバイやさようなら、という言葉も合わない気がして、一言「じゃあ」と言おうとした。
「ルカワ」
花道が真正面から視線を合わせた。
「オメー……今は一人暮らしなんだろ?」
「……ああ…」
なぜ花道が知っているのだろうか。流川は日本では親以外には言っていない。しかも、引っ越してまだ間もない。花道の後のルームメイトが合わなかったわけではないけれど、そろそろ一人暮らしをしようと決心したのだ。
しばらく花道は言葉を続けなかったので、流川はその目をじっと見つめながら待った。
「あの……今日から住まわせてくんねーかな」
花道が眉を落としながら言った言葉を、流川はすぐに理解できなかった。
「……なんだって?」
そう聞き返しながら、やっと話についていくことができた。
「…えーと…」
「…ちょっと待て桜木…」
流川は右手を挙げて花道の顔に近づけた。目線を床に落として、そのままの姿勢で脳をフル回転させた。
今日泊めてくれ、ではなかった。今日から、と言ったようだ。
もしかしてこれはもの凄く重要な話なのではないだろうか。
「テメー……なんで今まで言わなかった」
アメリカからの帰りも日本でも、いくらでもこの話題を出す機会はあったはずだ。流川は返事をする前に問いただした。
「なんで…っつってもなぁ…」
アメリカに着いてしまえば、なし崩しに部屋に上がり込めると思ったのだろうか。花道はそんな男だっただろうか。
「まあ……大事な話……けど、どこで話したらいいかわかんなかった」
花道の答えに納得したわけではなかったけれど、流川は長旅の疲れもあり、早く帰宅したかった。
ホテルにでも泊まればいいと告げたかったけれど、花道の話を聞きたい気持ちもあった。きっと新しいチームのことなのだろう。ちゃんと本人から伝えられたかった。
流川は目を閉じて俯いていた。今は眠くて、深く考えることができなかった。
「言っとくけど…狭いし、余分なベッドもソファもない……明日なら話を聞いてやる」
投げやりな流川の言葉だったのに、花道はホッとした笑顔になった。