奇 跡 

 

 流川は自分の車に花道が乗っていることを何度も横目で確かめた。アメリカに着いたらお別れだ、と思っていたのに、この事態はどういうことなのだろうか。よく考えてみると、花道が所属するかもしれない上位のチームはこの近くではない。流川の家から通うような距離ではない。
 結論だけ先に聞いてしまえば良かっただろうか。
 モヤモヤした気持ちもまま流川は車を止めて、部屋に戻った。冷静な対応ができない今、衝撃的な内容は聞きたくない。けれど、気分はすっきりしなかった。
 それほど広くない1DKを、花道はグルグルと見回した。見覚えのある家具や食器にホッとした。流川のベッドはセミダブルで、確かに余分なスペースはない。部屋の中は女性と住んでいる雰囲気ではないと判断した。
「テメーの寝るとこなんかねー…」
 狭いことを流川はそう表現した。
 花道は勝手にダイニングの端に荷物を置いて、そこに座り込んだ。
「床でいーから」
 花道はそこで寝るつもりらしい。流川は「おや」と首を傾げた。
 付き合っているわけではないけれど、深い仲なのだ。一緒にベッドで、と言わない花道が奇妙に思えた。以前、流川が嫌がっていたからだろうか。狭いから遠慮しているのだろうか。
「シングルに泊まってとか言ってたヤツだぞ…」
 自分で自分にツッコミを入れながらも、流川は無表情のまま立っていた。
「シャワー、オメーの後でいーから」
 完全に花道のペースだ、と流川はため息をついた。

 二人ともがシャワーを浴びたあとも、花道は流川に近づいてこなかった。ベッドの上に寝ころびながら、花道の気配を感じていた。これから床で寝ようとしている男が口笛を吹いている。なぜこの状況下で機嫌が良いのだろうか。そして、どれだけ待ってもこちらには来ないようだ。
 好きだと自覚したばかりだけれど、その相手を床に寝かせる自分は鬼だろうか。流川は確かに誘わなかったけれど、花道が妙に距離を取り始めた気がしていた。飛行機の中で手を離してから、その後は肩さえぶつからない。
 日本にいっていた間の一時的な関係だったのかな、と流川は思いついたけれど、それも何となく違和感を感じる。花道という男を完全に理解しているわけではないけれど、花道らしくないと感じた。
「まぁ……明日…」
 ゆっくり聞こう。そう決めた瞬間、流川は深い眠りに落ちた。

 朝食の準備もなく、朝早くから二人で買い物に出た。以前住んでいたところからそれほど遠くないせいか、花道も懐かしそうに街を見ていた。
 それでも、流川に向ける表情は硬い。
 朝食を食べ終わる頃、流川が促した。
「そろそろ説明しろ」
 花道が最後の一口をゴクッと音を立てながら呑み込んだ。
「あの……落ち着いて聞いてくれよ」
「……わかった…」
「…もしかしたらオメーには理解できねーかもしれねー……けど、オレは本気だ」
 早く話を進めろと言いたいのを、流川はグッと我慢した。
「オレ…サマーから元いたチームに戻る……戻れたら、秋からもだ」
 それがきっと結論なのだろう。流川には確かに理解できなかった。花道の言っていることが、半分ほどしかわからない。
「……もっかい言え」
 流川の戸惑った表情を見つめながら、花道は言葉を替えて話した。それでも、流川にはわかりにくい。花道が説明下手というのでもなく、流川の頭が回らないせいでもなかった。
「…言ってることがわかんねー」
 眉をギュッと寄せた流川に、花道はため息をついた。
 ほぼ間違いなく流川に呆れられる。そう思っていた。
「つまりテメーは……あのチームからの誘いを断って、また格下チームに戻ってきたのか?」
「……うん」
「…しかも……サマーでは試合に出られず……何するんだ」
「……よくわかんねー…けど、サマーに耐えたら、秋からも考えてやるって…」
 確かに話は繋がった。それでも流川は全く納得できる内容ではなかった。
「……そこまでして何でこのチームに拘る。どれほどのチャンスを逃したのか、わかってンのか…」
 語尾にいくほど、流川の声は低くなっていった。上を目指す者としては、腹が立つほどのことだった。まして、花道も同じだと思っていたから、ショックを受けた。
「オレは……ルカワとやりたい。同じチームで戦いたい」
 強い目線でそう言われても、そのときの流川の心には響かなかった。
「…わけわかんねー……ああそうだよな…オレは未だにこのチームから抜け出せねー。そんなオレにわざわざ合わせてくれたってのか」
 流川がはっきりと嫉妬めいたことを言うのはこれが初めてだった。花道に追い抜かれて悔しい。それを悟られるのはもっと嫌だったのに。
「ち…がう……オレはオメーがいるとこに行きたかった。選ぶ立場じゃねーけど、時間かけて交渉した」
「……どあほう…」
「オメーとバスケがしたい」
 花道は何度かそれを繰り返した。
 しばらく座ったまま、二人とも黙り込んでいた。
「オメーには関係ねーって思われるかもしれねーけど……オレ金ない。ゴリのことで日本に戻ったし、今は住むとこもねー」
 それで住まわせて欲しい、なのか。花道の言いたいことはわかる。けれど、流川がそこまで付き合う必要はないはずだ。
「てきとーに…安いとこ探せよ」
「…サマーの間、ろくに給料もらえねー」
 わずかな貯金で数ヶ月過ごさなければならない。
「オレが言うのも何だけど……オメーと一緒に暮らしたい」
 流川の心臓は初めて音を立てた。花道はずっと流川と一緒に暮らしてバスケットをしたい。先ほどから何度もそう言っているのだ。
 怒ってイラついているはずなのに、胸が高鳴った。
「…なんだこりゃ…」
 急に体の力が抜けて、少し冷静になれた。

 

2015. 7. 10 キリコ
  
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