奇 跡
結局、流川は花道を受け入れた。一緒に住みたいと思っていた。花道もそう言うなら、と自分に言い聞かせた。
花道の車や荷物は、元チームメイトに預かってもらっているらしい。
「…いつの間に…」
つい先日引退した年輩の黒人選手を思い浮かべた。確かに花道と仲が良かったけれど、花道からコンタクトがあったことも、荷物のことも、流川には何一つ言わなかった。そして、流川が一人暮らしを始めたことも、彼に聞いたらしい。
けれど、実際のチームは、その彼のように優しい人ばかりではない。むしろ、日本人に上位チームに行かれて悔しそうにしていた面々だ。その花道が戻ってきたら、どんな洗礼を受けるか想像がついた。
「……しょーがねーだろ…」
花道はそれも覚悟の上だという。監督やコーチが見ていないところで何をされるか。怪我をさせられても困るが、相手を傷つけるときっと訴えられる。わざとそうして、花道の足を引っ張るかもしれない。花道はずいぶんといろいろ想定しているらしい。
「ま……オメーにとばっちりが行くと困るんだけどよ…」
小声で花道が呟いたのを、流川は聞き漏らさなかった。
今でもやっぱり花道の選択は間違っていると思う。本人のやりたいようにすればいいと思うけれど、どうしても腹が立った。それでも、自分とプレイしたいといった花道の気持ちを尊重した。
「だから、ぜってー知らんぷりしてろよ」
流川は頷くこともできず、ただ黙っていた。二人が想像した通り、花道は冷たい歓迎を受けた。監督でさえ、マネージャー扱いだった。元々花道を気に入っていたからかもしれない。その戻り方が強引で、周囲の反感を買った。
試合には出られないのに会場には行く。荷物持ちやボールボーイなど、こき使われていた。その姿を流川は見つめる勇気がなかった。
「…どあほう…」
やっぱり止めるべきだった。それでも、花道は何を言われても表情を変えないまま手を動かしていた。
その後何度か花道が怪我をして帰宅することがあった。夜遅くに花道が帰ってきて、うずくまっていた。ベッドにいた流川は花道の異変にすぐに気が付いた。目立ったところには外傷はない。花道が腹部を押さえているので、見えにくい辺りを殴られるか蹴られたのだろうと想像した。
「…桜木…」
冷やしたタオルをおでこに置いただけで、花道の表情は少し緩んだ。
「もう……ヤメロ……こんなことまでされて、何で大人しくしてる…」
サマーに耐えたからといって、確実に次のリーグにいられるとは限らない。花道はそう言っていた。
「なんでって…そりゃぁ…」
目を閉じたまま花道がクスッと笑う。おでこに乗せていた流川の手のひらを掴み、軽く握った。
「しょーがねーだろ……ルカワとやりてーんだから…」
流川はこんな状況なのに、ドキッとした。花道はバスケットがしたいと言っているのだろう。けれど、ほんの少し違うことを思い浮かべた。日本でしていらい、キスさえなかった。手を握られたのも、ものすごく久しぶりに感じた。
「…今日はベッドで寝ろ…どあほう…」
「……いーって」
そういう花道を、流川は力強く引き起こした。協力はしないつもりだったし、チームの中でもかばったりしない。けれど、密かに応援するくらいは良いだろう。
重たい花道を背中に乗せるように歩き、二人でベッドに倒れ込んだ。短いサマーリーグの終わり頃、チームがかなり連勝していた。最後の試合となるその日も、かなりの点数差があった。その日、流川は後半から出場していた。そして、監督に気まぐれなのか、花道がコートに投入された。
「…桜木…」
花道が堂々とコートに入ってくる。けれど、チームメイトの空気は冷たかった。この状況下では、花道にボールは回らないかもしれない。それだけならまだしも、試合だから仕方ないと怪我をさせられる可能性もある。この考えに、流川はチームメイトをあまり信頼していないのだと気が付いた。バスケットの技術は素晴らしいけれど、他人の邪魔をするような輩は許せなかった。
「フェアじゃねー…」
口の中でそう呟いて、流川は花道のフォローをしようと決めた。
花道は何度かぶつかられそうになっても、器用に避けている。体格は負けていても、花道の動きは素早かった。そして、一度ボールを手にしたら、流川の想像以上に自由に動いていた。
思えば、二人で一緒にコートに出ることなど、ほとんどなかった。5人のメンバーのうち2人が東洋人という事態になると、おそらくチームの沽券に関わる。流川はそう考えた。強ければ何でもいいと思うけれど、人種のせいなのか、よくわからないプライドが邪魔をするものらしい。
「……どあほう…」
誰の差し金だったかまではわからないけれど、花道と自分を別々に登用していたのが間違いだ。今の流川がそう感じるほど、花道は流川の思う通りに動いていた。いて欲しいところにいる。パスをすべきところで、躊躇ったりもしない。流川はフォローなどいらなかったと気が付いた。花道と一緒にコートに立つことが、これほど心地よいと思わなかった。
元々あった点差を一段と大きく開いて試合が終わったとき、流川は顎を天井に向けて目を閉じた。涙がじんわり浮かんでくるくらい、嬉しかった。最後の試合ということもあり、チームメイトもみんな興奮している。花道も何人かに肩を抱き寄せられたり、頭を叩かれたりしていた。
花道は、ほんの数分の自分の出番を精一杯やったと自分を褒めた。やっぱり流川と一緒のチームという選択は間違っていない。ずっと以前から流川の動きを見ていたせいか、それを追うことができた。顔を上げたままの流川が、ようやく顔を戻して花道に近づいてきた。花道はチームメイトと少し会話しながらも、ずっと流川を見ていた。
少し小走りになった流川に、花道は思わず構えた。
流川は花道に抱きついた。これからベッドへ行くときのように、両手両脚を花道に絡めて、花道にぶら下がった。
そんな流川の様子に、花道も周囲も驚きで固まった。いつもテンションの低い流川が、よりによって噂のある花道にそんなことを。
『やっぱりお前たちは付き合ってンのか』
久しぶりにそんな風にからかわれて、花道は戸惑ったまま笑った。人前で流川が抱きついてくると思わなかったけれど、花道もすぐにその背中に腕を回した。その夜、チームのパーティを早々に抜けてきて、二人だけで飲み直した。
「次のリーグ……オレ選手として登録された」
花道の報告に、流川は驚かなかった。
「…オレの勝手な決断だったけど……協力サンキュ」
軽い口調だったけれど、花道がお礼を言ったので、流川の方が戸惑った。
「オレは……何もしてねー…」
「…ここに置いてくれたじゃねーか」
花道がホッとした笑顔を見せた。それは自分が離れたくなかったからだ、と流川は心の中で認めた。
向かい合って座っている流川が目を閉じて俯いたとき、花道は少し身を乗り出した。
「…寝たのか?」
「……寝てねー…」
流川は俯いたまま答えた。しばらくして右手を伸ばし、テーブルの上にある花道の手に重ねた。
「桜木」
ゆっくりと顔を上げて、真正面からまっすぐに視線を合わした。
「……へ?」
「オレは…桜木がスキだ」
「…………へ?」
ポカンと口を開けた花道の表情に、流川は少し笑った。それほど驚くようなことを言った覚えはない。けれど、花道は告白されることに慣れていないと言っていた。
「あの……もっかい…」
花道の頬が赤くなっていく。ちゃんと聞こえているらしいのに、と流川は目を閉じた。
「シングルベッド買うか……でかいベッド買うか…どっちかかな」
これからもここに住め、と流川はちゃんと言えなかった。遠回しのその表現でも花道には伝わるだろう。赤い顔のまま花道は動かなくなった。初めて流川に告白されて、花道は動揺したままだった。流川は手を重ねたまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。あ、その表情久しぶりだと思ったら、目が離せなくなった。
花道は髪を切ったり、禁欲期間を設けたり、チームに戻れるように願掛けをしていたつもりだった。勝手な決めごとだったけれど、思えば流川も自分に近づいてこなかった。呆れられただけではなく、嫌われたのではないかと危惧していた。
けれどその夜、流川は花道が驚くほど積極的だった。深いキスをしたあと、花道の腕を引いてベッドに向かう。これまでも何度か一緒に寝たけれど、今からは違うのだと感じた。花道自身が歩いている最中から反応し始めた。禁欲期間中はちゃんと我慢できていたのに。
花道をベッドに寝かせ、流川が抱いているかのような動きだった。体勢を入れ替えようとしても止められて、しばらくは流川のペースだった。久しぶりに触れられて、花道は長く保たなかった。荒くなった呼吸を整えながら、花道は一つの疑問を投げかけた。
「あのルカワ……もしかしてオレに…いれる?」
「……イヤダ」
ホッとしながらも、花道はその返事に憮然とした。先ほどまで流川が花道を抱くような勢いだったくせに。
「あ」
「……は?」
「あの……アレ取ってくるから…」
流川も忘れていた。花道が立ち上がったあと、流川はそこに寝そべった。
「これ、日本で買ったヤツ」
そういえばその物品をどうしたのか、流川は全く考えていなかった。買ってこいと命令し、そのまま花道が管理していたのか。そんな自分を心の中で笑った。
そして、花道がいざ挿入しようとしたとき、流川はまたうつ伏せになった。
「え……なんでそっち…」
「……うるせー…」
日本では正常位でしても怒らなかったのに。
それでも久しぶりに一つになれると思うと、花道の興奮は収まらなかった。
枕をギュッと掴む流川を見下ろしながら、花道はその肩に手を回した。撫でるように掴むと、ときどき流川が手のひらを重ねてくる。激しい動きはできないけれど、花道はとても満足した。
「あのルカワ…」
「……ん…」
「…その……オレもスキ…だぞ…」
告白とはこんなに大変なものだっただろうか。途切れ途切れにしか言葉が出てこない。ゴクリと唾を飲み込んで、流川の反応を待ったけれど、結局何も言われないまま体を離した。次は後日談かな