エイプリルフールの本心
「桜木くん、誕生日おめでとう」
花道は、体のずいぶん下の方から聞こえた声に振り返った。
「は…ハルコさん…誕生日ですか」
「マネージャーは部員の誕生日を知ってるの。4月1日、今日でしょう?」
笑顔を向けられて、花道は舞い上がった。
「は、ハイ!」
体育館の入り口に立っていた自分を、晴子は軽やかに通り過ぎた。
今日も春休みの部活だった。もうすぐ新入生が来るだろうから、それまで出来ることをしておくことが課題だと花道は言われている。新しいチームメイトが入ったら湘北はどうなるのか、花道には想像もつかなかった。
少し視線を動かすと、流川が壁際でバッシュの紐を結んでいた。近くに花道がいることも気づかないのか、それともただ無視をしているだけか。おそらく後者だろうと思う。花道はなんとなく今の会話が聞こえたか、気になった。
練習中はバスケットボールのこと以外何も考えず、ときどき倒したい相手のことをじっと見る。顔を背けられると、つい構いたくなる。でも、今はそれどころではないという自覚もある。3倍練習するにはどうしたらいいのだろうか。たくさん流川のプレーを見て盗むということは、近くにいるのに難しいことだった。
部活の後の居残りは、花道は積極的だった。同じ時間練習をしていてはダメなのだ。けれど、たいてい流川も居残っている。結局はあまり時間差が埋まらない。花道は自分でも気付かないくらい、かなりの頻度で流川を見ていた。
時々、バスケット以外のことが頭に浮かんでしまう。この男は、バスケットをしている以外の時間、何をしているのだろうか。食事をしてたっぷり寝る、トイレも行く、風呂も入る。そういう日常ではなく、買い物に出かけたり、友だちと電話したり、恋愛することはあるのだろうか。そういうことが一切想像できない不思議な存在だった。
離れたゴールの下で練習していた流川は、聞こえるような大きなため息をついた。
「…テメーは…なんか言いてーのか」
首だけで振り返って流川を見ていた花道は、突然話しかけられて驚いた。
「…ダチじゃねぇから、知るわけねーよな」
「は?」
花道は自分の脳内想像のまま、話した。
この男は、自分の友人ではない。倒すべきライバルなのだ。ライバルだから、興味があるのだ。花道は自分にそう言い聞かせた。
エイプリルフールで嘘を付いてみたら、どんな反応が返ってくるのだろうか。
「ダチじゃねー」
流川は眉を寄せて、何を当たり前のことをとため息をつく。花道がゆっくりこっちへ向かってきても、視線は逸らさなかった。
「…そうだ。オレはオメーがスキなんだ」
それほど大きな声ではなかったが、流川の耳にはっきりと聞こえた。聞こえたけれど、すぐに理解できなかった。
「……なんだと?」
花道は少し俯いたまま歩き、流川のそばで正座した。
そんな花道に、さすがの流川も驚かずにはいられなかった。
「…桜木?」
「頼む!」
声と同時に、花道は、流川に土下座した。
自分の足元に見える赤い髪を、流川はじっと見ていた。これはいったい何が起こっているのだろうか。
「お、男からそう言われたって…その、ムリなのはわかってんだ……けど、オレぁ苦しい……頼む。今日はオレの誕生日なんだ。今日だけ…オレと一緒に…」
勢いよく出てくる言葉に、流川だけでなく、花道自身も驚いた。自分は嘘がうまい、と惚れ惚れした。例え流川がどんな反応をしてきても、花道は「エイプリルフールだバカ野郎」と終わらせるつもりだった。
しばらく待っても、流川は何も言わなかった。けれど、花道から見える足は一歩も動いてはいない。花道のどの予想とも違った反応に戸惑い、貧乏揺すりを始めてしまった。
ずいぶん小さな声が聞こえたのは、それからまだしばらく後だった。
「…苦しい?」
花道は、流川のこんな声を聞くのは初めてだと思った。てっきり「どあほう」と言われて、後は殴り合いになると思っていたのに。
「か、片想い…は、苦しい…切ないとかいうと女々しいかもしんねーけど……何も手に付かなくなっちまうときもある」
これは花道の本心だった。けれど、ここまで感じる苦しい片想いはあまり経験したことがない気がした。振られて落ち込んでも、眠ることも食べることも出来ていた。自分でも、意外だった。
「…お、オメーには…片想いなんてねーんだろうけどよ…」
「…ない」
あっさり答えられて、花道はムッとする。片想いの経験がないのは両想いだからなのか、それとも誰かを好きになったことがないのだろうか。
「…けど、バスケットは…できるだろ」
流川からの問いに、花道はやっと顔を上げた。
「何も手に付かなくなっちまう、っつった。けど、バスケットマンだから…バスケットを通して、ずっとオメーと戦えるなら、それでいーって思ってた。けど、やっぱり時々苦しいな」
ふっと大人っぽい笑いを乗せて、花道はゆっくり立ち上がった。
「…すまねぇ…ヘンなこと言っちまった」
花道は突然興味がなくなったかのように感じた。次々口を飛び出してくる言葉に、自分で付いていけなかった。いったいこれは誰が用意したセリフなのだろう。誰がしゃべっているのか。
「……テメーはどうしたいんだ」
冷静な流川の口調に、花道の方が戸惑った。
「…どうって…」
「今日一緒にいろって、どういうことだ」
「…それは……」
勢いで言っていたので、花道には具体的な計画はない。そもそも、こういう切り返しが来るとは、思わなかったから。
花道は、自分の憧れを話した。一緒に登下校すること。できたら手を繋いで楽しく会話する。誕生日にはおめでとうと言ってもらい、一緒にケーキでも食べられたらと。
流川は大きなため息をついてから、突然片づけを始めた。その様子を花道は呆然と見ていたが、流川がモップを投げてきて、初めて実現するらしいことがわかった。
嬉しいと感じるよりも、驚愕と戸惑いがあまりにも大きすぎた。
自分の部屋に流川を招き入れて、花道の心臓は張り裂けそうだった。この緊張はなんだろう。流川の自転車で2人乗りでダッシュしてきたからだ、と思うことにした。手を繋いで帰ってきたわけではないし、ケーキも買っていない。一緒に部屋にいても会話はなく、和やかな空気も流れない。花道はなぜこんなことになったのか、未だに不思議で仕方なかった。
流川は少しだけ部屋を見回したあとは、じっとこたつを見つめていた。まだ肌寒い時期だから、温かいと思った。
「こ、こたつもいー加減片づけるつもりだったんだ」
花道は熱いお茶を入れながら、言い訳をした。
自分の部屋に、あの流川がいる。こたつに背を丸めて入っていて、ときどき自分の方を見上げる。ずっと心臓がドキドキ言っていて、流川にまで聞こえてしまうと心配になった。
一緒に部屋で座ってみても、落ち着かない。つい貧乏揺すりをしてしまう。けれど、流川がじっとしているのを見て、止めた。
「桜木」
「…な、なんだ」
湯のみを持ったまま、流川は花道をじっと見つめた。突然話しかけられたことも、見慣れないポーズにも、花道はドキリとした。
「誕生日おめでとう」
はっきりとした言葉を、真正面から、しかも真面目に言われて、花道は目を見開いた。今日は桜木軍団やチームメイト、晴子にまで言われたのに、そのどれよりも感動してしまった。
「あ………ありがと」
花道はじんわり滲んだものを見られたくなくて、流川に近づいた。まさにタックルしたという感じで、流川のお腹あたりに張り付いた。その勢いで、流川はバランスを崩し、後ろへ倒れ込んだ。
「イテっ」
後頭部を畳に打って、流川はイラッとした。しかも、持っていた湯飲みにはまだ少しお茶が残っていたため、こたつ布団にこぼしたのだ。
けれど、花道はそんな流川にはお構いなしだった。
「ありがとルカワ」
何度もお礼を言われるほどのことだったのだろうか。あの花道が自分に土下座したり、お礼を言ったりする。見慣れない花道だった。自分はただ、マネージャーの真似をしてみただけなのに。誰かの誕生日を祝ったことはなかったので、喜ばれることにも慣れていなかった。
自分のお腹あたりに赤い髪がある。両腕を背中に回されて、のし掛かられてみて、他人の体温が温かいことを知った。これが本当にあの花道なのだろうか。
流川は今まで触れたことのない、少し伸びたボーズ頭を、軽く撫でた。
ビクリと花道の肩が揺れて、流川も驚いて手を引っ込める。けれどまた、何となくその髪を撫でた。
花道の胸は熱くなった。誰かの心臓の音を聞いて、髪を撫でられたたけで、こんなにも泣きそうになる。胸が苦しいのはなぜなのだろうか。誰か、ではなく、流川にされているからなのだろうか。流川が逃げなかったから、花道は遠慮なく張り付いたままでいた。
自分はいったい何をしているのだろう。自主練の途中だった。苦手なはずの花道の家まで来てしまった。たぶん誰にも言ったことのないお祝いをはっきり口にした。流川は自分で自分の行動がわからず、何度も首を傾げた。体が自分の意志とは関係なく動いた、そういうことはバスケットの中ではあった。納得いかない動きをする自分自身が不可解でならなかった。それでも、未だに花道のことを嫌悪したり、不気味と思うことはなかった。流川には、花道の告白が演技には見えなかったから。もっとも、これまでも何度か騙されたことはあったのだけれど。
こんな風に思い詰めた顔をして、何も言えず、何も手に付かないとはどういう状況なのだろう。どんな想いが、生活を狂わせるのか。ケンカばかりの相手になぜ恋心を抱くのか。流川にはわからないことだらけだった。
どれほど時間が経ったのかわからなかったが、沈黙を破ったのは流川だった。
「片想いって…どんな…」
流川が話し始めるとき、ほんの少し心臓の音が乱れた。流川にとっても勇気がいる質問だったのかもしれないと花道は後から思った。話し声がいつもより低く穏やかに聞こえた。
「……どんな?」
「…どんな感じ…苦しいなら、なぜする…」
花道は小さく笑って、顔の向きを変えた。自分が動いても、流川は逃げなかった。新しい体勢では、流川の大きな手がゆっくり上下するのが見えた。自分の頭を撫でるための動きが。
「わざわざするんじゃなくて、気が付いたらスキなんだよ」
「……気が付いたら?」
「…たぶん自分の知らない間に…」
思ったことを口にしてみて、花道は自分でも驚いていた。
「スキだと思っちまったら、どうしようもねーっていうか……カンタンに諦められるモンでもねぇ」
「…諦める?」
「フラれたことねーオメーにはわからねーんだろうけど……叶わない恋ってのは…多い…」
花道が両腕に力を入れたので、流川はウッと呻いた。
「あ……わりぃ」
花道は素直に謝ったが、腕を放すつもりはなかった。
この離れたくない気持ちはなんだろう。エイプリルフールに流川をからかって、冗談に済ますつもりだったのに。
そして、流川はどうして自分の願いをすべて叶えてくれるのだろう。
こんな男だったのか、と驚いた。
知らなかった自分、知らなかったお互いに出会って、お互いが戸惑ったエイプリルフールだった。
それから1時間くらい、2人は何も話さないまま、じっとしていた。
胸キュン流川と、花道に甘える流川を書きたかったんだと思います。
花流…スキだなぁホント楽しいです(*^_^*)
何年か前のはなるアンソロジーに載せていただいたとき
このタイトルでした。続きからはとりあえず外します〜