無 題
花道は流川の気配を感じた瞬間に顔をあげた。視線を合わせないように体育館に戻ろうとする。流川も話をしようとしたはずだったけれど、その腕をつかんで引き留めることはできなかった。
「だいたいなんでオレが…」
とても面倒なことだと思う。けれど、花道がおかしいままだと、試合結果に響きそうな気がした。そして、自分としてもこの話題をすっきりさせておきたいと思った。
体育館に戻って、流川は花道の背中に話しかけた。
「キスじゃねーけど…そんな風なことはあった」
流川の言葉に思わず花道は振り返った。その表情は自然に驚いた、いつもの花道の顔だった。
「な…なんだって?」
流川もそのまま説明を続けることができなかった。
昨夜、思い出したことがあった。中学一年生の頃、バスケ部の先輩に連れられて他の先輩の部屋に行ったことがあった。なぜ一緒に行ったのか覚えてないし、誰の部屋だかもわからない。サッカー部だったか剣道だったか。すぐに退屈して帰りたかったけれど、その機会を逸したまま部屋の隅っこにいた。お酒が出てきたあたりでまずいと思ったけれど、逃げられなかった記憶がある。流川自身は一滴も飲まず、ただうとうとしながら腕組みしていた。そのときBGMとしてアダルトビデオが流れていた。おそらくそれをネタに誘われた気がするのだ。けれど、人が多いと見る気も起らなかった。結局、最後まで何しにいったのかわからなかった夜だった。
そのときの誰だかわからない先輩が、流川に近づいてきて唇を寄せてきたのだ。
「だから、あれはキスじゃない」
「……はぁ…」
花道はボールを抱えたまま流川の顔を見つめた。
いきなり何の話を始めたのかと驚いたけれど、昨日自分が聞いたことへの返事らしい。ゆっくりと長文で説明する姿が珍しかった。
「たぶん酔っぱらって…ビデオ見てたしな」
流川は間違いだったと言ったけれど、花道はもう少し複雑に想像した。その先輩とやらは、流川が好きだったのではないだろうか。
いずれにしいても、触れ合ったことには違いないのだろう。花道には嬉しくない情報だった。
「てめーだってケンカ中にぶつかったりしただろ?」
「…そんなことねー…たとえそうでも、それはチガウ」
「オレもチガウ。オレがそう思ってねーんだから、チガウ」
昨夜まで忘れていたのだ。ファーストキスなどにこだわらない流川でも、さすがに初めてのキスは印象に残るだろうと自分で思う。
視線を合わせても眉を寄せたままの花道をじっと見返し、流川は花道の反応を待った。
花道はなぜこんなにも動揺したのだろうか。今更ながら、花道の心情を想像してみた。
自分が誰か他の人とキスしたことがあるからだろうか、実際に違うと説明しても、花道は納得していないようだ。それとも、花道より先にそういうことをしたことがあることに腹を立てているのだろうか、実際に違うと説明したけれど、花道はとにかく自分より優位に立ちたいらしいから。
流川なりにいろいろ考えてみても、正解はわからない。花道が不愉快そうな表情のままあらぬ方向を見ているのを、見つめるだけだった。
花道は自分とキスしたいのだろうか。ふと、そんな考えが浮かんだ。
流川は一度天井に視線を向けてから、小さくため息をついた。
わけのわからないことを考える自分が不思議だった。そして、流川自身は花道とのキスに興味はわかなかった。
それなのに、流川は花道に近づいて、唇を触れ合わせた。至近距離でお互いの視線を確認した。
花道の両目がみるみる大きくなっていくのを見ながら、流川は花道から少し離れた。
花道はどんなリアクションを取るだろうか。怒るだろうか、殴るだろうか、それとも好きな相手らしい自分となら喜んだりするのだろうか。
それほど間をおかず、真正面にいたはずの花道が消えて、流川は視線で追うことができなかった。
「あれ…?」
口の中で呟いてから、花道が座り込んだことに気が付いた。
ヤンキー座りをしながら、足の間にボールを置いて、両手でボールを挟んでいる。とても静かな動きだった。
流川の想像になかった花道の様子に、流川の方が戸惑った。
同じように座った流川が見たのは、花道の涙だった。目を閉じたまま、花道は動かなかった。
意外にも、流川は動揺した。とてつもなく悪いことをしたのだろうか、ただちょっと触れ合わせただけのことに。流川自身望んでやったことではない。花道から希望されたものでもない。けれど、自分のことが好きなら構わないのではないか。流川にはそれ以上考察することができなかった。
花道はロマンティストだ。ファーストキスに拘っているらしいし。それならば、タイミングやシチュエーションも大事だったのかもしれない。おふざけのような触れ合いは嫌だったのだろう。
流川は右手で花道の頬に触れた。涙はちゃんとあって、まだ乾いていない。これは演技ではないのだ。
花道は流川の手を払いのけたりしなかった。
静かな深呼吸を一つして、流川は少し前かがみになった。左手は花道の右手とボールの上に置いてバランスを取った。
手のひらを花道の頬に乗せたまま、ゆっくりと唇を近づける。先ほどのようなぶつかるものではなく、ちゃんと心を込めてキスをした。力強く押し付けたあと、花道の唇を包み込んだ。目を閉じていた流川は、見えなくても花道が目をパチパチしたことを感じた。
ゆっくりと離れると、目を見開いた花道と目が合った。涙が目尻にたまっていて、それでももう流れていなかった。
自分が何をしているのか、流川はちゃんと理解している。理由はよくわからないけれど、今はこう伝えるべきだと瞬時に思った。
「これが、オレのファーストキスだ」
こんなくさいセリフ、自分から出たとは思えなかった。
流川は花道を置いて、堂々と体育館を後にした。
2017. 7. 1 キリコ
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もしかしてバレちゃうかもしれませんが、
ほとんど読み返してないのです…
次回は8月1日の予定です〜
8月2日になるまでには!…という感じです(笑)