無 題 

 

 
                              

 狭い部屋が急に広く感じた。先ほどまで賑やかだったのに、耳が痛く感じるほど静かになった気がした。
 短い時間にいろいろなことがありすぎた。突然深呼吸できて、想像以上に緊張していた自分に驚いた。
「そんな相手じゃねーだろ…」
 不思議な関係だなと今は思う。喧嘩相手だったし、ちょっとしたことで殴り合っていた。ほんの一時期近づいたけれど、距離ができたらそのままだった。ただそれだけなのに。
 そして今、なぜこんなにも動揺しているのだろうか。
「どれがウソなんだ…」
 全部ウソのような気がした。実はそれは希望だったのかもしれない。
 こんなにも花道に振り回される日が来るとは思わなかった。
 ギュッと目をつぶると、ふつふつと怒りが沸いてくる。
「ふざけんな」
 花道などどうでもいい。本人にもそう伝えた。
 もう会うこともない。流川は花道が今どこにいるのか知らないし、これからどこへ行くのかもわからないのだ。行き先を聞いても手紙も電話もしないし、だいたい花道は誰かと一緒に暮らす予定らしいから。
「もうオレには関係ねー」
 流川はため息をついて、椅子に深く座った。
 ふと視線をあげると、目の前のテーブルには先ほどまで食べ散らかしたものがそのままだった。
「ちょっとは片付けてけよ…どあほう…」
 目尻に指を当てながら、流川は文句を言った。
 その瞬間、なぜだか瞼が熱くなった。
 花道は、確かに先ほどまでここにいた。目の前にいて、たくさん話して、最後にキスをして去っていった。
 それさえなければ、ここまで悩まなかった気がする。
「なんでキスなんかする…キライっつったじゃねーか…」
 意外にもこの言葉に傷ついている自分に気が付いた。
 いったいどういうつもりなのだろうか。
 これからどうしようか、と考える前に、流川は勢いよく立ち上がってドアに向かった。
 無意識に上着を手に取って、しっかりと鍵を握りしめた。
 ドアを開けてまっすぐ先を見ると、少し離れたアパートの玄関に、花道が見えた。
 一瞬目が合った気がしたけれど、流川は試合中に出すスピードで部屋に戻った。
 コンコンとノックが聞こえ、小さな声で「ルカワ」と呼ばれた。
 ドアに背中をもたれされた流川は、急に頬が熱くなったことを感じた。
 花道が出て行ったあと、玄関の開閉の音も聞こえたはずだ。だから、確実に出て行ったと思ったのに。
「ルカワ」
 少しずつ声が大きくなって、ノックの音も激しくなる。
 しばらくすると、ルームメイトの誰かの声が聞こえた。いつもはお互い何事もスルーだけれど、さすがにトラブルを放っておけなかったのか。それともただうるさかったのだろうか。
 流川はため息と深呼吸を一つずつして、ドアを開けた。
 日本語でなんでもない、というような説明をして、花道の腕を引っ張った。
 ドアを背にして、二人で並んで静かに立つ。流川は招き入れたものの、それ以上動くことができなかった。
 先ほどまで怒ったり動揺したり、心が安定しなかった。
 けれど、花道の右手が流川の左手に触れたとき、ふと高校時代に戻った気がした。
 何も怖いものもなく、自由にバスケットができて、生活にも困っていなかったときだ。
 アメリカで大きな夢と期待と同時に、普段は気づかないようにしている不安もある。バスケットで上にいけるだろうか、怪我をしないだろうか、このままここで生きていけるだろうか。どんなに疲れていても、自分で生活を送らなければならない。一人は好きだけど、孤独はやはり辛く感じるときもある。
 それなのに、花道が隣に立って、ただ手を握っているだけで、こんなにも安心する自分がいる。
 先ほどまで面と向かって話していたときよりも、今の方が自然な気がした。
 ゆっくりと花道が動いて、握りしめたままの流川の上着を椅子に置いた。
 それだけで流川にもその後のことがわかった。
 目を閉じて、花道を見なかったけれど、花道がどんな表情をしているかわかる気がした。

 

2018. 3. 1 キリコ
  
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また4月1日に続きをアップします〜