世界が終わるまで

えにし06

 

◇  ◇  ◇ 

 


「実はのぉ…あの姫は本当は死ぬ運命にあった」
「…運命? 死ぬのが決まってたのか?」
 お婆は自分で白状しておきながら、困ったという顔をする。流川は運命なぞ信じていないが、聞き捨てならない気はした。
「ばーさん…なんで前世の俺とやらを…生き返らせ…違うな…」
 どう質問すれば適切なのか、流川にもわからない。お婆もよくわかっていた。だから、回答は明快だった。
「あの姫は、最期まで母親を信じておったし、純粋で優しい子じゃった…」
「…最期」
「男の子なのに姫として育てられ、またそれが誰もが疑わぬくらい美しい」
 流川は自分に似た顔が美しいと言われ、眉を寄せた。
「けれど、もうすぐ大人じゃった…」
「…12歳でか?」
「あの時代はの…そろそろ嫁入りの頃じゃ。入内はともかく、通う男でも出来たらばれてしまうからのぉ」
 流川も今ならばわかる。嫁入りの話が出たあたりから、母や自分を何とかしようと思ったことを。物の怪に浚われたとでも言えば、済む時代だったのだろうか。そこまではわからない。
「…驚いたじゃろうて…亡き者にしたはずの姫が帰ってきて…」
「……速攻、寺に入れられたぞ」
「もうその頃にはおかしくなり始めておったからの…可哀相にの。はつ姫も」
 流川は姫の名前を初めて知った。
「…『はつ』っていうのか」
「『花』と書く。楓は『花紅葉(はつもみじ)』を知っているかぃ?」
 流川は首を振るのが一瞬遅れた。「花」という単語に驚いたのだ。
「平安の世ではまたそれほど知られておらぬが、雅な一族であったそちの母やその父母は、その花を愛でることを知っておった」
「…紅葉の花?」
「ちょうど春の頃、紅色の花を咲かせる。美しいぞ」
 お婆は婉然と笑った。
「人に知られずとも、ひっそりと美しい。春も秋も美しい姫じゃ、と付けたのであろう。そのくらい、はつ姫は愛されておったのじゃ…」
「……でも」
「そうじゃの…だからの、男の子でも幸せになるじゃろうと相手と縁を結んだ。我が祖母に逆ろうての」
「…ばーさんのばーさん?」
「縁というものは誰でももっておるが、強い縁を結ぶのはやはり男女が多い。我が祖母はその結び目の役目もしておる。けれど、ちょっと逆らってみた…わしも若かったのぉ」
 ポンポンと飛ぶ会話に、流川はあまりついていかなかった。けれど、要約すると、千年前にまだ若かったらしいお婆が、あのとき緒羽太とはつ姫の縁を結んだことで、今の自分たちがあるらしい。そのことだけ、わかった。
「…別に、縁なんかなくたって…」
 と反発も覚える。運命だったのだ、という言葉は、流川は気に入らない。自分は、自分の意志で、桜木花道を選んだはずだから。
「…その通りじゃ、楓。どの世でも出会えるように縁を結んだだけじゃから…」
 からかうようなお婆の表情に、流川は初めて赤面した。自分で言い放っておきながら、省みて照れてしまったのだ。ここに本人がいなくて良かった、と心から思った。
「…楓、あの子が呼んでおるぞ」
 いつの間にか、流川はあの神社の上にいた。屋根を見下ろすように空中に浮かんでいるのだ。そして、流川楓の本体はそこに倒れている。それでも、流川はもう驚かなかった。
「ばーさん、俺、戻れるのか?」
「…臨死体験ではないからの」
 ずいぶんと現代の情報を持つ婆と思った。けれど、バスケットを知らないことはつまらないと思う。
「今度会うときまでにバスケットも勉強しろ」
 予想もしなかった言葉が出てきて、お婆は仰け反るように驚いた。
「…今度、というと、また千年後くらいかのぉ」
「……千年ごとしか会わねーんだな」
 それには答えず、黙って下を指さした。
「泣いておるぞ…救急車を呼ばれる前に降りた方がええようじゃ」
「…飛び降りるのか?」
「いや…」
 しばらく間をあけて、お婆はニヤリと笑った。
「お前さんが最も会いたいと思う相手の名を思い浮かべなさい」
「………なんだと…」
 額に怒りマークを浮かべながら、流川はお婆を睨んだ。
「わしは嘘は言っておらん。ほれ…早くせんと、病院に担ぎ込まれるぞ」
 意識不明で横たわる自分を抱え、花道はオロオロしている。確か、自分たちの監督が倒れたときには処置が良かったと聞いていたのに。
「それくらい、動揺しておるんじゃよ…ほれ、楓」
「……ばーさん、実は考えてることが読めるのか…?」
 まるでいたずらっ子のような笑顔を浮かべ、お婆は流川を促した。
 小さく舌打ちした後、流川は覚悟を決め、目を閉じて心の中でその名を呼んだ。

 


 頬に冷たいものが落ちてきて、流川は目が覚めた。明るい日差しが瞼にあたり、朝なのかとぼんやりと思った。仕方なく起きようかと瞼を震わせる。すると同時に、大声が落ちてきた。
「ルカワっ!」
「…?」
 目の前で呼ばれて何事かと驚く。さすがの流川も、一瞬で目が覚めた。
「…桜木?」
 かすれている以外、いつもと変わりない声を聞いて、花道はまたポロポロと涙を零した。
「ルカワ…良かった…」
「……何が?」
「呼んでも起きねーし…ずっとだぞ、テメー! こんなとこで寝こけてるからだぞ!」
 途端に元気でうるさい状態に戻った。わけがわからない流川は、眉を寄せ始めた。
「…ここ、どこだ…」
「どこって…京都だろ」
「…いつの時代?」
 花道は、流川が頭を打ったのではないかと思った。開いている右手を後頭部に当ててみるが、特に痛がる様子はない。ぼんやりとした流川は、花道の腕から逃げなかった。
「…桜木?」
「……ルカワ…オメー、ほんとに大丈夫か?」
 からかうのではなく、本当に心配そうな表情を向ける。ずいぶん真摯な顔も出来るもんだ、と流川は純粋に驚いた。
「…テメーこそ、何泣いてやがる」
 ゆっくりと、流川は指で花道の頬を撫でた。自分のために泣く花道を、初めて見たのだ。
「こっこ…これだはな…つまり…」
 まっすぐに見つめ返す黒目がちの瞳から目が逸らせず、花道は答えに詰まる。いつもより表情が軟らかい流川に、落ち着かないからだ。
「…つまり?」
 流川は花道の耳を軽く引っ張った。こんな穏やかな動きでキスをするのは、初めてだった。触れるだけですぐ離し、二度目は小さく音を立てる。素直に目を閉じる流川に、花道は必死で理性を押さえた。


 流川は、倒れる前の自分の行動を思い出そうとした。確か、ケンカしてはぐれた花道を探しに戻った。そこまではわかる。けれど、なぜこの覆い茂る木の下で眠っていたのかは思い出せない。
「おおかた、疲れて昼寝し始めたんじゃねーの」
 肩を並べながら歩き、すっかりいつものペースを取り戻した花道は、やはり優しい言葉を向けることが出来ないでいた。

 高校卒業後、バスケットという共通点以外では別の道へ進んだ二人は、その間積極的に連絡を取り合うこともなかった。けれど、再会してからの二人は、どちらともなく接近した。これまでもそうしたかったことを、やっと少し正直に動く気になったからかもしれない。それは、年齢であり、地位の安定のせいだったのかもしれない。
 けれど、社会人として働いている間もバスケットの練習中も、そして夜の二人も、ぶっきらぼうなままだったのである。
 ところが。
「…ルカワ…平気か?」
 枕に顔を埋めながら、流川は黙って頷いた。互いの汗がシーツに染みこみ、部屋の中は熱気で充満している。そんなところにまで気が回る二人ではなかった。
 何もしゃべらないけれど、堪えようと苦しそうな呼吸を続ける流川を、花道は心から労った。肉体的には気遣っていないかもしれないが、それが二人にとって大切で必要なものだと思っていた。流川もそう思ったからこそ、黙って受け入れているのだ。相変わらず二人に言葉による意志の疎通はないが、それ以外で伝わるものがあり、それで十分だったのかもしれない。
「動いていいか…?」
 遠慮がちに囁かれた声は、これまで流川が聞いていたどの声よりも穏やかだった。
 いつもなら「動けば」などというような、つれない返事をするところだ。けれど、そんな余裕が流川にはなかった。初めて知る痛みと充足感で、文字通り飽和状態だった。
 緩やかな振動とともに、流川は思わず呻いた。けれど、ストップはかけない。
 覆い被されながら、長い両腕は流川の頭を包むように回される。それに縋り付くように、流川は花道の前腕に爪を立てた。
「ルカワ…」
 耳元で囁かれる低い声が、こんなにも愛おしいものだと、流川は初めて知った。
 




 知識だけはあった流川だが、こんなにも大変なものだとは思わなかった。自分の唯一の趣味である寝ることが、今は出来ないでいるのだ。行為後、隣でずっと話しかけてきた人物は、すでに夢の中らしい。憎たらしいのに、殴ろうとは思わない。きっと望まれれば、自分はまたこの苦しみを味わうのだろう。ここまで変わった自分を、流川は嫌いになれなかった。
 一方、花道が下心つきで京都旅行に誘ったのは事実だった。けれど、半分諦めていたのも本当だった。何しろ相手はあの流川である。どのように切り出せばよいかもわからなかったから。
 これまでの夜の二人は、まるで思春期の友人同士のように、ただ男の生理の延長線上でしかなかった。キスをしてみても噛みつくような勢いで、乱暴に互いに触れる。それだけだったのである。
 甘やかに自分の背中に触れ、ぼんやりとした視線をまっすぐに花道に向けるのは、初めてだった。苦しそうでも嫌とは言わなかった流川を、本当に愛しいと思った。
 長い時間をかけてようやく眠りに落ちた腕の中の寝息に、花道はそんなことを思い出していた。頬が熱くなり、自分までいつまでも眠れないのもつらい。寝たふりも大変だとため息をつき、その温かい重みを抱き直した。


2003.2.23発行
2012.4.6UP
next