世界が終わるまで
えにし07
その夜、流川は夢を見た。それは現実にあったことを呼び起こしているに過ぎないのだが、記憶のない本人には夢でしかない。
「…ばーさん、俺はどうやって修学旅行に戻ったんだ?」
確か、どこかで寝ているところを発見され、グループ行動から外れたことと併せて担任に怒られた気がする。
「まあね、あの年齢のお前さんまでしか見せてあげられなかったからねぇ」
「……で?」
回りくどい説明ではなく、流川は回答がほしかった。今回、悔しいけれど花道の元に戻ってきた。その法則でいくならば、自分はバスケットを心に思い浮かべたのだろうか。
「…そうだよ、楓」
結局、流川は自分で答えを導き出していた。
「ばーさん、別に関係ないけど、はつ姫はその後どうなったんだ?」
自分はあの貧しい生活に慣れていく姫しか知らない。それはそれで構わないのだけれど、お婆が出てくる夢が覚めない限り、まだ会話を続けなければならないし、朝はまだまだのようだったから。
流川の問いに、お婆は口を濁した。
「…はっきりしねぇな…」
「楓、話してもいいけど、知らなくていいこともあるんだよ」
「…勝手に人を巻き込んどいて、何いってやがる…クソババア」
流川は彼なりに親しみを込めて、お婆を責めた。
お婆は大げさにため息をつき、流川に諭した。
「いいかい…お前さんたちにはいろんな前世がある。はつ姫たちが最初だが、それはこれからも続く。縁切りをしない限りね…」
「……縁切り? これからっていつまで…」
「そりゃあ…世界が終わるまでさ」
事も無げに言うが、よく考えてみても流川には世界の終わりが想像つかない。たかだか25年の記憶しか持っていないし、未来すら予想がつかないのだから。来世以降のことまで思いを飛ばしたことなどないのである。
「…いろんな二人がいたよ」
「ずっと見てたのか?」
お婆は自慢げな笑顔を浮かべ、流川は眉を寄せた。
「ふふっ あたしゃこれでもたくさんの子たちの縁を結んだんだ。だから、お前さんたちばかりを見ていたわけじゃない。けれど、節目にはチェックするよ」
「…今は節目なのか?」
「ちょうど千年くらいだからね…それと…」
「……それと?」
少し迷うふりをして、お婆はその先を続けなかった。
「知りたければ、貴船へおいで」
「…きぶね?」
中途半端なところで、流川は爽やかに目覚めてしまった。
「…きぶねって知ってるか」
朝ご飯を食べながら、流川は呟くように尋ねた。
「ああ…ガイドブックにそんな名前があったような…」
「…知らねーんじゃねぇか…」
「オメーよりは知ってるぞ!」
二人の日常的な会話風景だったが、周囲の人たちはハラハラした。怒鳴り声は、昨夜の照れ隠しだ。まともに目を合わせることも出来ないでいた。
部屋に戻ってから、すでに使い古されたようなガイドブックを開き、花道は流川の隣に座った。
「おい…貴船ってやつか?」
「…さあ…」
花道にはわけがわからないし、申し出た流川の方もわかっていないらしい。
「とにかく、そこ」
京都のどこに興味があるとも思えなかった流川の、初めての要求だった。
貴船神社は二人が宿泊している街から一時間くらいのところだ。揺られる電車の中から外の風景を見ていると、ときどき寺や神社が見える。日本中どこにでもあるが、やはり多い気もする。隣で眠る流川から目線をそらし、花道は真剣に考察した。
乗り換えて山の方へ向かうと、街中よりもいくぶん気温が下がる。鈍感な流川にも感じられる。けれど、ここも人が多かった。そして、いくぶん身体の動きが不自由な流川に、本人も花道も気づかないふりをした。
「…オメー、なんで急に貴船なんて言い出したんだ?」
その問いに、流川はうまく答えられなかった。なんとなくだが、夢の中でそう促された気がするだけなのだ。
「…有名じゃん」
「……そうなのか?」
貴船神社は水の神様で有名だった。けれど、流川がそんなことを知るはずがなかった。そしてもう一つ。
「ルカワ…縁結びの神って書いてるぞ…」
言ってしまってから花道は照れたが、流川も素直に驚いた。
なぜ、こんなところに来たいと口走ってしまったのか。
そこに不思議な力が働いたことを、二人は知らなかった。水の神様にふさわしいのか誰にも判断はできないが、ここのおみくじは水に浮かべることで文字が浮き上がる。花道は試してみたかった。楽しそうなのもあるが、縁結びの神様のそばで自分たちのことを知りたかったのである。
「ルカワ、やってみねー」
「…やれば」
「いーから、ほれ」
200円ごときで自分の将来にうんちく垂れてほしくない。流川はそう思うタイプだけれど、占いなども好きそうな花道は、嬉しそうだった。
「おっ…なんか見え始めたぞ」
水に浮かべてから間もなく、黒い文字が透けて見える。結果はともかく、その過程は少しおもしろいかもしれない。そう思った流川も、身をかがめて小さな紙を見ていた。
「…何だこりゃ…」
花道の驚いた声に、流川も少し眉を上げることで同調した。
そこに浮き上がったのは、夢の中で見たお婆の顔だったのである。そして、その表情が笑顔に変わったとき、花道は腰を抜かすほど仰け反った。
「ど、どういう仕組みになってんだ?」
「…おや驚かしたかえ…」
「しゃ、しゃべったぞ! 紙がしゃべったぞ、ルカワ!」
「……うるせー、どあほう」
流川も十分驚いているのだが、花道の様子に呆れたというのも大きい。流川はその声が夢の中と同じであることに気付いたから、少し冷静だったのだ。
「……ばーさん…妖怪?」
何度も出会い、何度忘れても、流川の態度は変わらなかった。
「よ、ヨウカイなのか!」
「…違うっていってるのに…相変わらずだね、お前さんは」
自分と知り合いだと言わんばかりのお婆に、流川は首を傾げただけだった。
お婆は二人の顔を見比べて、小さく笑った。
「…二人とも、水占なぞいらんぞえ」
「……いらねーって…どういうこと?」
落ち着いてきた花道は、老婆とはいえ女性を邪険にはできなかった。妖怪と言ってしまった自分を反省しているのもある。
「ここから先に中宮(なかみや)がある。そこへおいで」
紙の上の顔も声も消えてから、花道はおみくじを取り上げた。そこにはごく普通に『凶』と書いてあるだけで、特別なものには見えなかった。幻覚かと花道は自分の目を擦る。隣で見ていた流川には、その仕草がおかしかった。
「俺、中吉」
「ばっバカ野郎! 占いなんて信じてねーんだよ!」
「…じゃあなんでわざわざする」
「うっ」
もっともなことを突っ込まれると、花道は大声で話題を変える。それは高校生だった頃から変わらないと流川は観察した。不気味だからとか、気になるからとか、花道はいろいろ言い訳をつけた。流川も夢のことも今のことも気にしていたから、黙ったまま同じ方向へ歩いていた。
中宮とは、貴船神社の結社(ゆいのやしろ)があるところなのである。
「…なんか書いてあんぞ…いわながひめ…」
「……知らねー」
「あまり知られてはおらんようなの…」
今度は頭の上から声がして、花道はまた仰け反った。
「…ばーさんが、いわ…なんとか?」
「…わしの祖母だよ」
しばらく沈黙した。疑問だらけだけれど、何から問えばいいのかわからないのだ。流川と花道は、何度も顔を見合わせた。目の前で宙に浮いているお婆。そんな非現実的な状況の中で、互いだけは本物だと知っていたから。
自然と近寄り、ごく自然に手を握り合い、守り合うように立つ二人は、お婆には微笑ましいものだった。この二人の縁を結んだことが間違いではないと、お婆は誇りに思えるくらいだった。
「…お前さんたちが、わしのデビューだった」
「……何の?」
「はつ姫はね、本当に良い子じゃった…」
花道は、お婆おぼんやりした回想についていけなかったが、流川はその名に聞き覚えがある。しかも、それは自分が発した単語だった。
「…俺、はつ姫って…知ってる?」
「……まあね…その後はね…楓…」
「ちょ、ちょっと待て、待ってくれ…何の話だ?」
流川とお婆の会話はさっぱりわからない。けれど、流川にはわかることもあるらしい。それがおもしろくなかった。
「ばーさん、誰?」
「…桜木、それは後だ」
「…はあっ?」
少しずつ、お婆が作り出した雰囲気を思い出し始めた流川は、見せられた前世もポツポツと頭に見えていた。このお婆と何度か会ったことも。
「……ばーさん、はつ姫のその後は…?」
「いいのかぃ…混乱しているようだよ、花道は」
「…いい」
つれない返事をしながらも、流川は繋いだ手に力を入れた。緊張で汗をかく手のひらに、花道はとにかく流川のしたいままにさせるしかなかった。わけがわからないまま、花道は流川の手を力強い握り返した。
まるで映画のスクリーンのような大きさの画面が、自分たちの足下に広がった。
「あんだ?」
「…花道、ずいぶん端折るけどね、お前さんたちの前世だよ」
「………前世…ってあるのか?」
「…らしい」
流川が一応肯定して、花道は流川の新たな部分を見た思いだった。
「ばーさん、俺、前世で流川と会ってたってことか?」
「…その通りじゃ」
まるで雲の上から見ているように、下に見える世界で生活が行われている。現代と違った世界であることは、花道もわかった。
「…もしかして…あれって……俺?」
花道が指さす子どもは、流川がそうだと思っていたのと同じだった。
昔の記憶では、まだ今のような知り合いもいなかった。だから、はつ姫として出会った周囲の人々が、現在の誰かまではわからなかったのである。
けれど、今は流川にもはっきりわかる。
「ルカワ…ってまさか…あの子か?」
花道が自分だと思った子が、よく面倒を見て構う相手である。その外見は女の子だった。
「わかったかぃ、花道」
「…オメー、女だったのか?」
「チガウ」
苛ついた声で流川は反論する。けれど、リボンをつけたはつ姫は、拾われた寺で主に台所で仕事を引き受けている。忙しそうに働く女の子たちの中にいても、何の違和感もなかった。
「他にも縁がある子がいるじゃろう。そのことも絡むからの、はつ姫の未来…いや過去かな」
「……ばーさん…わけわかんねーぞ、俺…」
「…黙って見てろ、どあほう」
二人は笑うお婆の横で、手を取り合ったまま空中に座った。
◇ ◇ ◇
2003.2.23発行
2012.4.6UP
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