世界が終わるまで

えにし09

 

 ◇  ◇  ◇ 

 

「あれって…仙道じゃねぇの」
「…そう…かも」
 花道はいはつ姫の可哀相な展開に不機嫌だった。その上、流川の前世であるはつ姫の相手が仙道だったことも気に入らない。
「寺にいたっけ…気づかなかったけど」
「……ああ…姫扱いする子の中に」
 寺にいたときの名を史朗と言った。流川はその少年に負の感情を持ったことはない。けれど、あまり話したこともなかった。
 花道は、今はまだドラマでも見ている気分だった。おかしな展開だけれど、隣には流川がいたし、握った手のひらも温かい。夢かもと思っているくらいだった。だから、前世の自分とやらと他人の縁なぞ、考えないようにしていた。
 とりあえず、史朗が仙道だとは気づいたらしい、と流川は首を傾げた。
 流川は、はつ姫の不幸を見ても冷静だった。過去の自分と言われても、自分が体験した記憶ではない。お婆の忠告通り、いろんな自分たちがいたのだろうから、驚かないことにしていた。自分の意志で殺されることと、自分自身を抹消されることの、どちらが悪かということを、想像出来なかったからかもしれない。
「あの父と母は、今の俺の両親じゃねー」
「…それも縁の一つじゃが…誰がお前さんを産むかは決まってないからね」
 ということは、あの父母とも縁があるというのだろうか。流川はだんだんわからなくなってきた。
「……もーいい。めんどくせー」
 それ以上見たいとも思わない。はつ姫が元に戻らなくても、いい身分、将来は帝になるような男の嫁になったのなら、少なくとも食べるのには困らない。史朗は悪いヤツじゃなかったから大丈夫だろう、と結論づけた。
「それがねぇ…この後が大変なんだよ…楓」
「…ばーさん、勝手に読むな」
「ま、いーじゃねぇか。俺ぁ、最後まで見てみてーな」
「……仙道とやらと姫のことが気になるんだよね…花道」
「あっこの、ババア!」
「……どあほう」

 

 

◇  ◇  ◇ 

 

 そして、東宮争いは、右大臣側の負けとなった。
 史朗はすぐには飲み込めなかったが、自分という人間がいらなくなったことだけは徐々にわかっていった。傅いていた女房たちが、消えていったからである。
「…姫…俺たちはいらないそうだよ」
 庶民の言葉でこっそり耳打ちした。いくら話しかけても、はつ姫は返事をしない。言葉が聞こえているのかすら怪しかった。けれど、史朗は姫を大事にしていた。
 権力闘争から逃れると、二人は自由になった。文字通り、いらなくなったら道端に捨てられるのである。皇子として育っていたならば、また高貴な姫として再縁の口があれば別であったろう。けれど、史朗とはつ姫には、それがどちらもない。
 史朗は着ていた綺麗な直衣を放り投げ、袿(うちぎ)を脱いだはつ姫は、身軽な格好で街中を歩き始めた。史朗は晴れ晴れとした顔をしていた。
「あーやっぱりじっとしてるのって合わないよね」
 大きく背伸びをした後、ぼんやりとしたままのはつ姫の手を取った。
 史朗が向かう先は、たった一つである。

 連れ去られたはずの二人が戻ってきたとき、和尚はまず幻かと思った。その次に幽霊かと驚いた。貴族と庶民の間がそれくらい無知と格差が混在していた時代なのだろう。
「…史朗? はつ姫?」
「和尚、ただいま」
 ちょっとそこまで出かけてきたという明るさで、史朗は和尚に対応する。はつ姫の草履を脱がし、自ら手を引いて上がった。
「今日からまたここに住んでいい?」
「あ…ああ…ああ」
「あ、俺へ、姫と結婚したんだよ」
「……えっ?」
 和尚がまごついている間に、史朗は仕事を見つけに出かけてしまった。ここでは働かざる者食うべからずの典型なのだ。史朗にはこの共同生活の方が合っていた。
 しばらく経って、和尚ははつ姫の異様さに気づいた。
「…はつ姫…楓姫?」 
 どの名で呼んでも、空を見つめたままの姫は無反応だった。それどころか、どこを見ているのかもわからない。あまりにも哀れな結末に、和尚はまた涙が浮かんできた。
「……こんなところにまで噂は届いていたよ…」
 和尚は独り言のように呟いた。
「大変なことに巻き込まれたのだね…」
 もう安全なのだろうとは思った。貴族という人種が、興味がなくなった駒に固執するとは思えない。捨てられていた史朗と拾ったのは和尚だが、その身分にも驚いたばかりだったのに。ほんの数ヶ月で、失った二人が戻ってきたのである。
「…とりあえず…良かった…本当に良かった」
 和尚は汚れた袖に顔を埋めた。

 突然畑に現れた兄弟分に、和尚と同じく誰もがまず幻覚だと思った。
「俺…疲れたのかな…史朗が見える」
「……俺もだ、清太」
「緒羽太…どう思う?」
 各々が少し恐怖を持って手を止めた。
「あれ、休憩中?」
 畑道具を肩に担ぎ、史朗は不思議そうに問う。皆で目を丸くして、その後すぐに飛びついた。
「史朗ー! 生きてたのか!」
「うん、貴族ってのもおもしろかったよ」
 苦労のかけらも見せず、史朗は事も無げに笑う。おそらくここにいる子どもたちには想像もつかない世界だからだろう。史朗にも説明のしようがないのだ。そして、自分の出自を知られたくはなかった。
「…帝ってのに会ったのか?」
 さすがにこの言葉だけは小さく聞く。
「……うん。御簾ごしだけどね」
 兄だという今上帝の声は、低く冷たかった。親兄弟とは、こういう触れ合いをするものだと育ってきたから。
 短い再会の挨拶が切れたとき、それぞれが元いた場所に戻る。炎天下での仕事は効率が悪かった。けれど、今日の頑張りが明日の食事に繋がるのである。
「あ…緒羽太」
「…なんだ?」
「……後で…話したいことがあるんだけど」
 緒羽太は首を傾げた。とりあえず、日の出ているうちは仕事中心だった。

 この寺の中では、緒羽太と清太が最年長だ。それ以上の子どもは修行や奉公に出る。一人前として社会で独り立ちしなければならない。二人もそんな年頃だった。
 緒羽太は、はつ姫が連れ去られた後、落ち込みがあまりに激しく、仕事に出られないくらい全く動けなかった。小さな新しい妹を守る気でいたのが、自分が助ける間もなく連れ去られてしまった。しかも、一度その場面を見ているのだ。向こうでどんな目に遭っているか想像するだけで、胸が苦しくなった。
 結局、あの姫は昔聞いたことのある羽衣の人で、ふらりと立ち寄ったお姫様なのだと思い込むよう努力した。少し笑うようになり、畑に出始めたのも、ごく最近のことだった。
 夕方、寺へ戻る前に、史朗ははつ姫の話をした。
「…姫はね」
 そう史朗が切り出しただけで、緒羽太は跳ね上がりそうなくらい驚いた。
「……姫? 楓か?」
「…うん、そう…姫がね…」
「史朗…姫に会ったのか? どこにいるんだ?」
 急に形相が変わり、予想はしていたもものの史朗は怖じ気づいた。けれど、姫が遭った災難の話を自分以外にできる人はいないと自分に言い聞かせた。
「あのな…俺、姫と結婚したんだ」
 そこから説明し始めたのはあまり良くなかったかもしれない。史朗は史朗なりに楓姫と呼ばれていた頃から好きだったし、はつ姫が相手で喜んだのも事実だった。
「緒羽太? 聞いてる?」
「あ………ああ」
「俺さ、帝の弟なんだって」
「……えっ?」
「でね、はつ姫が俺のとこにお嫁入りするために…」
「……はぁ…」
 史朗の説明はわかりにくかった。根気よく聞いていって、緒羽太はやっといろんなことを理解した。
「…それで、楓姫をどうすんだ?」
「うーん…そこなんだけどね、緒羽太…」
 そろそろ自立するならば、本当に妻としてどこへでも一緒に行けばいい。そんな考えたまず緒羽太に浮かんだ。自分は仲良く暮らす二人を見たくないのである。
「…俺…奉公先を世話してもらおうと思ってたんだ…連れ去られる前にね」
「……大変だったな」
 ずっとはつ姫のことばかりを考えていた緒羽太は、史朗も似たような目に遭っていることが念頭になかった。
「それでね…」
「ま、待て、史朗!」
「…緒羽太、はつ姫をお願いしてもいい?」
「……へっ?」
 止める間もなく発せられた言葉は、緒羽太の予想と逆のことだった。
「こんな言い方は悪いかな…」
「……別に物扱いしてるわけじゃないだろ?」
「…緒羽太、姫はね…」
 一番大事な部分を、史朗は最後まで緒羽太に言えなかった。会えば驚くだろうからと先回りするつもりが、結局口では説明できなかった。

 緒羽太ははつ姫を目の前にして、何も言えなかった。再会の言葉は百通りも考えた。生きて会えるならば、どんな姿になっていてもいい。そう毎日神仏に願った。寺で育っているのに信心深くない緒羽太の変わり様は、和尚には驚愕ものだった。
 そのはつ姫は、本当にただ生きているだけの状態だった。
「ごはんをね…口に持っていくと、少し食べてくれるよ」
 緒羽太の背中から、史朗は知っているはつ姫のことをすべて伝えようとしていた。
「着替えは…女房という人にしてもらってたから…これからはわからないけど」
 和尚は史朗の肩を叩いて止めた。はつ姫は相変わらずだし、緒羽太も何も聞こえてない様子だからである。
「…楓姫」
 長い時間かけて出た言葉は、小さく掠れていた。
 はつ姫の肩がピクリと動いた。焦点が合ったわけでもなく、言葉を発したわけでもないので、それは気のせいとも思えた。
 けれど、はつ姫は一筋の涙を零した。
「…楓…楓…かえで、ごめんな…ごめん…苦しかったな…」
 大きな腕がはつ姫を包む。それでも姫は身動きしなかった。それがまた、史朗と和尚の涙を誘った。

 その後、史朗は以前からの希望通り、奉公に上がることになった。明るさと器用さ、そして優しい兄として、みなに親しまれていた彼である。見送りは総出であった。
 一方、緒羽太ははつ姫を連れて、こっそり寺を去った。事情を知っているのは和尚だけで、内緒の旅立ちはしばらく子どもたちをガッカリさせた。はつ姫がお荷物でも、彼らはすでに姫が好きだったから。
「あたい、緒羽太のお嫁さんになりたかったのに」
「…そんな夢みたいなこと」
 そう笑う子も、兄のような緒羽太にかすかな恋心は持っていたかもしれない。
 その後の二人の生活を、寺では誰も知るよしがなかった。

 

◇  ◇  ◇ 

 

2003.2.23発行
2012.4.6UP
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