ドクター10月26日
Dr. ミッターマイヤーがたっての希望で ”明け勤務” にしていた朝…
朝5時半、発砲されたらしい男性が意識不明、出血多量で運ばれてきた。
「生食2リットル、O型マイナス4単位、クロスマッチ急いで!外科を呼んでくれ。チアノーゼがきついな」
「瞳孔開いてます」
「末梢静脈確認できません」
「血圧80/50、脈拍42」
「背部より貫通しています。出血が止まりません」
「押さえていろ。挿管できた。O2を…」
そこへ、勢い良く外科医ロイエンタールが入ってきた。
「患者は?」
「年齢不詳、男性、貫通銃創から出血が止まらない。生食2リットル、O型マイナス今2単位まで、クロスマッチ結果待ち。意識は戻っていない。バイタルも下がってる」
「よし、では、オペ室へ運べ! 急ぐぞ!」ベッドや周辺機器ごと患者が運ばれて行き、ミッターマイヤーは一息ついた。
「ふうぅ…」
滅菌手袋とガウンを脱ぎながら、ロイエンタールの後ろ姿を見送った。真剣な表情のDr. ロイエンタールはミッターマイヤーの目から見てもかっこいい。常に冷静で、動じることなく、素早く的確な判断であり、オペも細部までしっかり行える。
「あいつ、本当にレジデンスなのか…?」
一緒に勉強して同時に卒業し、臨床経験も同じはずなのに、随分違って見える。
”天性のものかな…”
羨ましくは思っても、ミッターマイヤーは僻んだりはしないタイプであった。年齢や経験年数、または職業差別的なこともなく、優れているものは優れている、と認めることが出来る人間であった。「さて、申し送りをして、もう一働き!」
今日は10月26日。大事な日なのだ。昼には帰るミッターマイヤーは今夜のことで頭がいっぱいだった。
先に帰って、いろいろ準備したかったのである。
「Dr. ミッターマイヤー、今日のこと、バレてませんよね?」
今回の計画を持ち込んだ看護婦ジュディがこっそり耳打ちしてきた。
「ああ、大丈夫だと思う。そういえば聞きたかったんだけど、なんで今年に限ってそんなことを…?」
ジュディは周囲の目を気にしながら言った。
「Dr. ロイエンタールって最近、変わったと思わない?」
相手の言っている意味がわからず、ミッターマイヤーは首を傾げただけにした。
「前はね、どこか近寄りがたい雰囲気ってあったのよねぇ。でも最近落ち着いた、というか…とにかく、変わったのよ。」
「…どこがどういう風に?」
「ジュディ!!」
向こうから呼ぶ声がして、ジュディは「またあとで」と去っていった。
”ロイエンタールが変わった? 落ち着いたって…前から落ち着いていたと思うんだけどなぁ…?”残業もなく、家に帰ろうとしたミッターマイヤーは、途中スーパーで買い物をした。
”打ち合わせは済んだ。買い物もオッケー。下ごしらえして、ちょっと寝ようかな…”
部屋に戻ったミッターマイヤーは、簡単に掃除を済ませ、夕食の下ごしらえをし、夜勤明けの疲れた身体をベッドに放り投げるように飛び込み、熟睡した。
目覚めたのは夕方で、シャワーを浴びて準備を始めた。
そのうち、今回の計画立案者やサポーター達が訪れてきた。キッチンで料理するもの、飾り付け、その他仕掛けなど、手際よく施していった。ロイエンタールを残業させずに帰す方法は、計画立案者達が考えているらしい。ミッターマイヤーが今回提供したのは、部屋の鍵と部屋と、機会だった。
ロイエンタールがそろそろ帰宅しようか、という時、受付のマーリンが電話を切りながらロイエンタールに話しかけた、というよりはほとんど叫んでいた。
「Dr. ロイエンタール! 大変です。Dr. ミッターマイヤーが大変ですぐに帰ってきてほしいって!!!」
常に冷静沈着で動揺した顔を見せたことのないロイエンタールが、顔色を変え、目を見開き、すごい形相でマーリンに何も言わずにERから飛んでいった。これにはマーリンの方が驚いた。
「…初めて見たわ…あんな顔…」
しかし感心してばかりもいられなかった。マーリンも今回の計画実行者である。急いでロイエンタールの後を追った。ドアの鍵を開けるのももどかしそうに、ガチャガチャ言わせながら鍵を開けたロイエンタールは、勢い良くドアを開け、ほとんど叫んでいた。
「ミッターマイヤー!!!」
部屋は暗かった。手探りでスイッチを探そうとしたその時、
「HAPPY BIRTHDAY DEAR Dr. ロイエンタール!!!」
突然灯りがつき、クラッカーの音がうるさかった。ロイエンタールは、一瞬何が起こったのかわからなかった。よく見ると、派手な三角帽子をかぶった同僚達が部屋中にいた。ここに、この部屋に同僚達が大勢いる、という状況が自分の幻覚なのか現実なのか、しばし頭の中で認めるのに時間が必要だった。全員が自分の方を見ていることにロイエンタールは驚いたが、それよりもミッターマイヤーを探した。自分達の部屋なのに、ミッターマイヤーが見あたらなかった。
「ミッターマイヤーは?」
その問いに誰も答えようとせず、お祝いのキスやらハグやらで、なかなか部屋の奥に進めなかった。通路の近くまでに来たとき、奥のバスルームからミッターマイヤーが出てきた。
「あれ? ロイエンタール、おかえり」
そういってニッコリ笑うミッターマイヤーを見て、ロイエンタールは今日何度目かの驚きを味わった。抱き留めている腕を振り払い、ミッターマイヤーの方に駆け寄り、大切な人の身体を全身チェックした。
「…お前…大丈夫なのか? 何があったんだ?」
これにはミッターマイヤーもキョトンとした。
「へっ?」
その顔と返事に、恋人の無事とマーリンの嘘がよくわかった。とりあえずミッターマイヤーが無事ならばよし、とロイエンタールはミッターマイヤーを思いっきり抱きしめた。
突然の力強い抱擁に一瞬頭がポ〜っとしかけたミッターマイヤーであったが、同僚達の前であることを思い出し、お祝いのハグのつもりで抱きしめ返した。
「誕生日、おめでとう…ロイエンタール」
みんなから見えない側ではあったが、祝福のキスを頬に送った。
「…誕生日?」
今度はロイエンタールの方がキョトンとした番だった。といっても表情はそれほどハッキリとわかるものではなかったが。
「さ、今日の主役はこちらへどうぞ」
同僚達に引っ張られ、連れて行かれたリビングには、さっきは気づかなかったが、様々な料理やお酒が並べられ、プレートには『HAPPY BIRTHDAY DEAR Dr. Reuental!!! 』『ALLES GELTE ZUM GEBURSTAG!!!』と英語とドイツ語の両方が書かれていた。またこれがいつもの自分の部屋だとは信じられないくらい壁や天井に色とりどりに飾られていた。
ロイエンタールは驚いていた。その驚きの表情は誰から見ても驚いている顔だった。
”…俺が主役? 誕生日パーティー?”
グラスを渡され、みんなが代わる代わるグラスをぶつけていく。呆然としているロイエンタールを横目に、同僚達はめいめい楽しみ始めた。そんな横顔を見ながら、ミッターマイヤーはひそかな心配事があった。
”ロイエンタールに断らず、同僚達とサプライズパーティーを計画してしまった。もちろん内緒でなければ、サプライズパーティーにはならないけれど…。みんなも言ってたけど、これまでロイエンタールは同僚の誰も家に入れようとしなかった。だけど俺と住むようになって、みんなのロイエンタールを見る目が少し変わったらしい。
それと…いつもは二人で祝うことが多かった。勤務の許す限り、一緒に食事をし、飲んできた。それだけだったけど、十分楽しかった。でも…今日の誕生日は…少し特別にしたかった…”
ここまで考えて顔が赤くなった。
”恋人として…誕生日を祝うって、どうしたらいいんだろう…”
遠く離れて暮らす妻の誕生日にも、ミッターマイヤーは忙しくて帰ってやることもできないでいた。また帰省中に会う内に、いつの間にか結婚となっていたエヴァンゼリンである。実際にお互いの誕生日を祝ったことはなかった。誕生日には電話かメールで連絡し、プレゼントを贈るだけだった。悩んでいたミッターマイヤーにジュディ達が話を持ちかけてきたのだった。ぜひに、と言われ、断りきれなかった、のもあった。しかし、どこか同僚達と一歩引いて接しているロイエンタールが心配だったのも事実であった。せっかく向こうから機会を設けたいと言ってきてくれたのである。そしてできれば同僚達のロイエンタールへの誤解を解いておきたかった。
”優秀で、技術が優れている医師としてだけでなく、暖かみのある一人の人間と思って欲しかった。いや、みんなが全員そう思っているわけではないだろうが、もうちょっと親しくしてほしかった…”今、ロイエンタールは同僚に囲まれ、差し出された料理を食べ、飲み、とりあえず輪の中にいた。時折ミッターマイヤーの方を見て、少し微笑んだ。ラジオの音楽がなり続け、ほとんど全員が身体を音楽に乗せていた。ミッタマイヤーの目から見ても、とりあえずロイエンタールは楽しそうであった。
「…楽しそうよね?」
突然ジュディに話しかけられ、「ああ」としか言えなかった。
「彼って…」
”彼 ?! ” ミッターマイヤーはその形容詞に何となく落ち着かなかった。
「ロイエンタールが何だって?」
「彼って、変わったわ」
「…昼間も言ってたね。どこがどういう風に?」
「…なんというか…落ち着く場所を見つけた、というか、守るべきものを見つけた新婚さんの落ち着きって感じかしら」
ミッターマイヤーはその表現に驚いて、黙っていた。
「彼ってね、ERだけでなく、病院中の女性の注目の的だったのよ。知ってた?」
「…もてるだろうね、あいつは…」
二人ともロイエンタールを目で追いながら会話していた。
「でもね、病院のスタッフとは関係を持とうとはしなかったのよ」
ミッターマイヤーは目線をジュディに移した。
「…なぜ、そんな話を…?」
「どこが変わったのか聞きたいんでしょう? 彼、あなたと暮らし始めて変わったんだと思う」
ジュディもミッターマイヤーの方を見ながら話し続けた。
「あなたは心配しているかもしれないけど、私達は私達なりにDr. ロイエンタールを理解しているつもりよ。そうでなかったら、一緒に命を預かる仕事なんてできやしないわ。・・・信頼関係が必要な仕事でしょ?」
ジュディの目を見つめながら、「ああ…」としか答えられなかった。
”俺は随分ロイエンタールを見くびっていたかもしれないなぁ…。俺だけが理解してるぞって顔しながら。ああ、ロイエンタール…”
ロイエンタールは、同僚達と踊っている。はしゃいではいないものの楽しんでいるようだ。
そのままロイエンタールを見つめていると、ラジオの音楽がチークに変わった。行動が早く気を利かせすぎの同僚の誰かが、部屋のスイッチを消した。部屋の中はたくさんのローソクに灯されているが、かなり暗くなった。そんな中でも、ミッターマイヤーにはロイエンタールが自分の方を向いていることを感じることが出来た。
”でも…みんながいる…”
突然ジュディに背中を押され、振り返ると、
「今日は無礼講よ! 楽しんできて」
耳打ちしながら、また背中を押してきた。
「…えっ…?」
後ろのジュディばかりを気にしていたら、前から腕を取られた。ロイエンタールである。
「…宜しければ、わたくしと」
恭しくお辞儀をしたロイエンタールは、ミッターマイヤーにダンスを申し込んだ。その申し出にミッターマイヤーは戸惑った。皆の前であり、男同士でチークを、というのはいろんな意味で抵抗があった。
後ろを振り返ると、ジュディがウィンクしてきた。
”よし! ここで断るのもロイエンタールに恥じをかかせることになるだろうし…”
スカートはなかったが、お辞儀をし、ロイエンタールを手を取った。”身長差から考えても、俺が女性役だろう…。それに今日はロイエンタールが主役だ”
静かに流れる音楽に身を任せる。ロイエンタールも大きな動きはしなかった。
”こうしてロイエンタールと踊るのは初めてだ…女性役も初めてだけど…”
緩やかな左右の揺れは心地よく、ロイエンタールもきつくもなく緩くもなく自分を抱いている。
”気持ちいい” とも ”楽しい” とも思った。
二人とも飲んでいる。ここにいる全員にアルコールが入っている。
”でも記憶がなくなるわけではない…”
そんな思いがあり、ミッターマイヤーは踊りに集中できなくなってきた。軽く握りしめられていた右手をクンと引っ張られ、ミッターマイヤーは顔を上げた。そのままこちらを見ていればいい、その金銀妖瞳はそう言っていた。
”穏やかな暖かい瞳だ…ロイエンタール。そんな目で見られたら、俺は……”
薄暗い中で赤面しているのがばれないように、ロイエンタールの頬に自身の頬を近づけた。周囲に同僚達がいることも忘れ、二人で二人の世界に入っていた。
”ずっとこのままで…”パーティーは早めに終わった。平日であり、明日も勤務があるからである。
「おやすみなさい」
「楽しかったわ」
「誕生日、オメデトウ! ドクター!」
など、様々な声をかけながら、みんな帰っていき、最後にジュディが何も言わずニッコリ微笑んで帰っていった。にぎやかだった部屋は、パーティーの残骸はあったが、静かだった。そのまま黙って片づけ始めたロイエンタールの後ろから話しかけた。
「あ、俺がやるよ。ロイエンタール」
「オスカーだ」
二人の時はお互いファーストネームで呼ぶことにしていたが、長年の呼び名はなかなか変えられなかった。
「あ、うん。…オスカー、こっちを向いてくれ」
ゆっくりと上体を起こし、ミッターマイヤーの方に振り返った。その金銀妖瞳はさっきまでと同じく穏やかで、ミッターマイヤーを見つめる目は嬉しそうに見えた。
「…今日のパーティーのこと、…大勢呼んだことを怒ってないか…? 勝手に済まなかった」
やや上目使いのグレーの瞳は、いたずらをした子どもが弁解するようにも見えた。
ロイエンタールはミッターマイヤーがなぜ謝るのかわかる気がしていた。彼が自分のことを心配してくれていることを知っているからである。ロイエンタールが黙って愛しい身体を引き寄せた。
「今日は…楽しかったな」
力強く抱きしめられ、本当に楽しかったという雰囲気を含んだロイエンタールの言葉に、ミッターマイヤーは安心するとともに、お互い黙っていても通じ合うことができるのだ、ということがよくわかった。
「にぎやかなのも初めてで楽しかったが…、俺はお前さえいてくれればいいんだ。ウォルフ」
そう言って抱きしめる力を一層強くしたロイエンタールに、ミッターマイヤーはその愛しい人の胸に口をあてたまま、モゴモゴいった。「Herzlichen Glukwunsch zum Geburstag, Oskar…」
おそらくそばにいても聞き取れないくらい小さな声でロイエンタールの胸に囁いた。ロイエンタールには直接胸に響く恋人の言葉が嬉しかった。恋人として祝う誕生日、などとかまえなくても、二人で過ごすことが出来れば、それで幸せな気持ちになれるのだ、とミッターマイヤーは遅ればせながら理解した。
二人だけの誕生日パーティーの始まりであった。
1999. 7. 7 キリコ
2000.12.12改稿アップ