ドクター誕生日
パーティーの後、二人は抱き合ったまま静かに音楽を聴いていた。
「Wollen wir einmal tanzen?」
「…Ja, gern!」
ロイエンタールの真剣な申し出に、ミッターマイヤーはにっこり笑い、ないスカートを上げる仕草でお辞儀をし、ロイエンタールの前に腕を差し出した。ロイエンタールは、その右手に挨拶のキスを送り、自分の左手の中に包み込んだ。
ロイエンタールの左腕に包み込まれた身体は、ロイエンタールの動きに合わせるように動いた。しばらくはグレーの瞳と金銀妖瞳を合わせたままであったが、どちらからともなく頬と頬を合わせていた。そのまま静かにゆったりと音楽に身体を乗せていた。
パーティーの後のちらかった広いリビングの中で、男性二人がチークを踊っている。その姿は一見奇妙かもしれなかった。しかし二人は幸せな気分でこの時を過ごしていた。
ロイエンタールの誕生日。
ロイエンタールが疎ましく思っていても、ロイエンタールが生を受けた日。
いつも二人で祝ってきた。今年もいろいろあったが、今は二人きりだ。これまでと違うのは二人の関係であった。
友人から恋人へ。いったん一線を越えてしまうと、恋人であるのが当然だったかのように、自然でいられた。
お互いの息が耳元にかかるくらい寄せていた頬を、ロイエンタールから離し、真正面から目を合わせた。じっと見つめられ、ミッターマイヤーは思った。
”今日はずっと穏やかな瞳だ…。いつもなら祝っていてもどこか冷めた感じで…。祝う俺のために喜んでくれている、そんな感じだったのに…”
瞳を合わせたまま、自然と唇が重なった。軽く触れるだけのキス。何回も何回も繰り返すうちに、どちらともなく熱烈なものになっていった。ダンススタイルの組まれた手を離し、ミッターマイヤーはロイエンタールの首に腕を回した。ロイエンタールもミッターマイヤーの腰を両腕で強く引いた。
その唇や、瞳の色の変化、肌の色の変化、お互いの身体を教え合ってまだ2ヶ月にもならない。しかし、すでにすっかり馴染んでいた。あっという間にお互いがお互いの身体を覚えてしまっていた。まるで最初から知っていたかのように。
それでもその時その時で反応は違っていた。
今日のロイエンタールは至極上機嫌で穏やかだ。
今日のミッターマイヤーは珍しく積極的で、身体全体でロイエンタールを祝福していた。
ロイエンタールの優しい唇が首筋に降りてきたとき、ミッターマイヤーはそれを受け入れるべく静かに顎を上げた。喉仏を通り、軽く鎖骨をかまれたとき、それまで我慢していたため息のような声をミッターマイヤーは上げた。その声に満足したロイエンタールは再びそこを攻める。
シャツのボタンに手が掛かり、ロイエンタールの手が差し入れられようとしたとき、初めてミッターマイヤーが口を開いた。
「…オスカー…、せめてソファへ…」
顔を上げると頬をピンクに染めたミッターマイヤーはロイエンタールの首に手を回したまま小さく言った。ミッターマイヤーはキスだけで立っているのがやっとな状態になってしまっていた。ロイエンタールもそのことに気がつき、チュッと音を立てたキスをして、その身体を抱き上げた。
そのままベッドかソファに連れて行かれるのかと思ったら、玄関に向かっていた。
「…オスカー?! どこに行くんだ?」
このまま外出でもするのかと思い、ミッターマイヤーは驚いた。ロイエンタールは黙ったまま、本当に玄関から出ていった。わざわざ鍵を閉めて、やっとミッターマイヤーの顔を見つめた。
ロイエンタールが何を考えているのかわからず、グレーの瞳を大きく見開いたままのミッターマイヤーは物問いたげであった。ロイエンタールは詳しくは説明せず、ただ笑顔を張り付けたままで言った。
「本当は引っ越しの時にやりたかったんだがな」
それだけ言って、ロイエンタールは玄関の鍵を開けた。ますます訳の分からないといった顔をしたミッターマイヤーは、次の言葉で意味を理解した。
「さあ、花嫁殿。新居につきましたぞ」
今日はずっと楽しそうなロイエンタールであった。そんな恋人の様子が、自分がそばにいることでもたらされるのなら、いつまでもそばにいようと思うくらい、ロイエンタールは本当に幸せそうだった。ベッドルームに運ばれながらミッターマイヤーは声を上げて笑った。
「オスカー、引っ越ししたのは俺だけだぞ。それでも新居なのか?」
つまらないことを言っていると自分でも思いながら、この楽しい嬉しい気持ちをはっきり言葉で表すことができず、ついふざけたことを言ってしまう。正直なところ照れているのだ。
ロイエンタールは自分の下で自分に溺れてくれている愛しい身体を、これ以上はないくらいの優しさで抱いていた。自分とミッターマイヤーが恋人と呼べる関係になってから、自分の中で何かが変わっていった。
女性に興味を示さなくなったこと、これは愛するミッターマイヤーがそばにいる、という気持ちから。
独占欲が強くなったと思うこと、これもミッターマイヤーを愛するあまりである。それまでよく自分はミッターマイヤーを手に入れなくても良い、などと思っていた、と自分の過去が信じられなかった。いったん距離が近くなってしまうと手放せなくなる、執着してしまう、そんな気持ちに気がついた。
誕生日をこの友人だった男はずっと祝ってくれていた。その日を疎ましく思っている自分が「いらない」といっても必ず祝ってくれた。今日のサプライズパーティーには本当に驚かされていたから、パーティーの目的は達成されただろう。何しろ自分にとっては初めての体験であり、ひょっとしたらこの愛しい存在がなければ、一生なかったかもしれないことである。またこの存在がいなければ、自分はこのようなパーティーを楽しめなかったかもしれなかった。今ロイエンタールは特に口に出して望んだわけではなかったが、ミッターマイヤーは声を押し殺すこともせず、素直に自分に与えられた刺激に反応し、感覚通りに気持ちを表現していた。
今日は特別な日だから。
いつもはお互い特に言葉で表現しないが、今日はおぼつかない息で「愛してる」を連発していた。
――お前を愛している。
――お前が生まれたこの日を愛している。
――オスカー・フォン・ロイエンタール…そんな恋人を優しく強く抱きしめることでロイエンタールは答えた。
「今日は記念日だな。」
薄紫に色付いたグレーの瞳を開け、ロイエンタールのヘテロクロミアを見つめながら言った。
「…何の?」
ロイエンタールはその動きを止めずに聞き返した。
「お前が生まれた日だし、…俺達は…新婚なんだろう…?」
言ってしまってから顔から火を噴きそうになったミッターマイヤーは、その顔を見られることをいやがり、ロイエンタールの首にしがみついた。その言葉にも行動にも意表をつかれたロイエンタールは、驚きのあまり動きを止めてしまった。ミッターマイヤーの口からそんなセリフが出るとは想像もつかなかったからである。
繋がったまま止まってしまい座り込んだ恋人に、ますますどうしてよいのかわからず、そのまま首にしがみついていたため、ミッターマイヤーも座ってしまった。肩を押し返され向かい合い、その瞳をのぞきこまれてミッターマイヤーはますます赤面した。そのヘテロクロミアは真摯な眼差しを向けてきていた。「新婚」という言葉を出してから、ロイエンタールは何も言わない。それがかえってミッターマイヤーの照れを増長させていた。止まったまま見つめ合った二人はどちらも口を開かなかった。冗談交じりで「新婚」だの「新居」だの言えても、実際にはどちらもプロポーズすらしていない。正確には出来なかった。ミッターマイヤーが既婚だからである。
しかし、今日はロイエンタールにとって特別な日であった。
二人にとって特別な日であった。
ロイエンタールはエヴァンゼリンからミッターマイヤーを奪ってしまおうとまでは思っていなかった。しかし、今日は、絶対に渡したくない、という思いで溢れかえっていた。
”今日だけは…今日だけでも…ウォルフ…”
ミッターマイヤーも同じ気持ちでいた。
”今日は…俺はお前のためだけに存在する…だから…”「LaB uns heiraten.」 「Mochtest Du mein Herr werden?」
同時に同じようなセリフを言い、お互い驚いたが、気持ちが同じであったことがわかり、二人とも幸せな気分になり、幸せな時を過ごした。
二人だけで祝う誕生日。外の世界や現実を忘れ、今日だけは二人だけの世界の住人になっていた。
二人はこれまでにない幸せな誕生日を迎えていた。
「mein Herr」というところがミソ・・・(笑)
1999. 7.13 キリコ
2000.12.12改稿アップ