ドクターSt. Valentine's Day & Wedding !!!
休みの朝、ミッターマイヤーは、フェリックスをお隣の老夫婦に預け、一人で外出した。
フェリックスを連れて行ってもよかったし、二人で休みのときに、フェリックスをロイエンタールに預けて、一人で出かけても良かったのだが、なぜだか一人っきりで、誰にも知られずに行きたかった。ミッターマイヤーもロイエンタールも洗礼は受けているものの、敬虔なクリスチャンではなかった。
今日は久しぶりに、正確には、ロイエンタールと深い仲になってから、初めて訪れるのである。平日の教会は静かで、2,3人バラバラの席でお祈りしているのが見られた。ステンドグラスから入る冬の弱い日の光は、白く美しく、見上げるとまぶしかった。
最前列に座ったミッターマイヤーは、手を胸の前に合わせ、一人お祈り、というよりは懺悔を心の中でつぶやいていた。
”神様。…私は、…あなたに教えていただいたことに反することをしているのかもしれません。
…いえ、実際にそうなのでしょう。私は、とある男性を愛しています…”
誰に聞かせているわけでもなかったが、神様には聞こえているような気がして、名前を敢えて出さなかった。そうすることで、神様からのおしおきがロイエンタールに行かないように、無意識の配慮だった。
”こんな気持ちがいつからあったのか…、またどのくらい深いものなのか、というのは自分でもわかりません。…ですが…、とても大切に思っています。
神様、私には妻がおります。愛しいと思い、結婚した妻がおります。
あなたの前で愛を誓いました。
今でももちろんその気持ちに嘘偽りはありません…”
ミッターマイヤーは深呼吸をした。その真っ白い息は、冬の空気にとけ込んでいった。
”ですが…気が付いたら…、その男性のことばかり考えている自分に気が付きます…。
…私は…、どうしたらいいのでしょう。
妻を大切に思う気持ちには変わりありません。”
俯いて、自分の両手の上に顔を乗せながら、目を閉じた。
”私は…、どうしたらいいのでしょう…。
神様には合わす顔もありません。
妻にも…、罪悪感は感じています。私の実家で私の帰りを待っていてくれているのに…。
神様。私は…二人とも大切なんです。
欲深いとお怒りかもしれませんが…、罰は私にだけ、お願いします。彼には…、彼の分もどうぞ私に…。
勝手だとわかっています…、ですが、二人が…私の大切な二人とも…幸せに…なれますように…”
小さくアーメンと言ったミッターマイヤーは、しばらく祭壇を見つめていた。バレンタインが来週に差し迫ったころ、ミッターマイヤーは妻エヴァンゼリンにバレンタインの贈り物を選ぶべく、市内のデパートに出かけた。これも毎年恒例のことであったが、実は今回、ミッターマイヤーは妻よりも同居人に対して、先にプレゼントを用意していた。
”男性が男性に贈るのも…、妙かな…”
などと考えながらも、あれにしようかこれにしようか、かなり悩み、何度もデパートに足を運んだ。ただでさえ忙しい勤務であり、ロイエンタールに買い物がばれないような時を選んでいたので、かなり限られた時間内ではあったが。
エヴァンゼリンには、宝石を贈ることにした。いつもより高価な、安月給のレジデンスにしては、かなり奮発した、プラチナでアクアマリンのついたネックレスであった。宝石台は小さな花になっており、エヴァンゼリンに似合うだろう、と思った。郵送の手配を済ませ、買い終わってから、あれで良かっかな、と悩んでみたり、喜んでくれるだろうか、とか、高価なことを不思議がられたりしないだとろうか、などと考えたりしていた。エヴァンゼリンという女性は、いつも笑顔で、夫であるミッターマイヤーが贈ったものに文句を言ったこともなければ、反発したこともなかった。そんなエヴァンゼリンに対して、夫に対して従順とも取れるし、逆の見方をすれば、どうでもいい、と思っていたのかもしれない。
そんな考えにミッターマイヤーはハッとした。
いつから、妻をこんな風に思うようになっていたのか、と身勝手で情けない自分に呆れて、くやしくて、どうしようもなくて、唇を咬んだ。
ロイエンタールと暮らし始めて5ヶ月。自分の中でここまでロイエンタールの存在が大きくなるとは考えられなかった。気持ちは日々揺らいでいた。
”このまま一生…、オスカーといよう”
と思う気持ちと、それとは正反対の、
”ダメだ。今すぐ離れろ。フェリックスも育てる義理はない。お前にはエヴァンゼリンがいるんだぞ”
決められない自分がいた。しかし、頭はまっすぐ自分たちの家に向かっており、フェリックスへのお土産や、今晩の食事について、など、日々の生活のことにすぐに頭は戻っていった。その生活の中には、妻エヴァンゼリンはあまり出てこないのであった。
バレンタインの日は、二人とも夜勤だった。
次の日の朝、二人でフェリックスを連れて帰り、連日のハードワークのためぐっすり眠ることを二人とも望み、申し訳なく思いながら、隣人のハサウェイ夫妻にフェリックスをお願いした。1日遅れのバレンタインのプレゼントを渡すと、向こうも用意していてくれた。この老夫婦は、孫も遠く離れており、フェリックスを殊の外かわいがってくれていた。ロイエンタールもミッターマイヤーも悪いと思いながらも、とても助かっていた。とにかくシャワーを浴び、食事をするよりも何よりも眠りたかったが、お互いを求める欲求には勝てない時もあり、今日はまさしくそんな日だった。
荒い息の中、ミッターマイヤーは小さくつぶやいた。
「こんな真っ昼間から…、息子…をよそにあ、ずけ・・て…。悪い親だ!」
向かい合いながら、疲れた笑顔でいう恋人が楽しくて、ついこちらもいじめてしまった。
「奥様の欲求を満たすためなら、息子をどこへでもやりますね」
口だけでなく、動きを速めていじめるロイエンタールを睨みながら、
「だっ! 誰が、ァッ…、欲求ん不満…・・あぁ…」
恋人を求める欲求が満たされた二人は、今度は基本的な生理的欲求を満たすために、ベッドを違う意味で使った。短いが深い眠りにつくとかなりすっきりした。
先に目覚めたのはロイエンタールであった。横で眠る恋人の髪をそっと梳いてやると、小さなうめき声とともに、恋人も目を覚ましたようだった。しかしまだ瞼は開かず、グレーの瞳は姿を表してはいなかった。
「ウォルフ」
耳元で囁くと、肩がヒクッと上がった。
それでも目を開こうとしない隣人に、強烈な目覚ましをしかけることにした。左手をそっと毛布の中に入れ、つかめるところをつかんだのである。
「うわっ!!」
さすがに、これには驚いて飛び起きた。
「おはよう。ウォルフ」
とんでもない起こし方を実行したロイエンタールは、何事もなかったように、目覚めのキスを送った。
「お前〜!起き抜けになんてことするんだ!」
真っ赤な顔をしながら、クールな顔を睨んだが、もちろん何の効果もなかった。
いたずら心から少々にやけた顔をしていたが、と思ったが、突然声は真剣になった。
「…頼みがある」
「イヤだ! 寝る前にしたじゃないか」
ロイエンタールはこの返事を聞いて、顔が緩んだ。緩んだといってもミッターマイヤーにしかわからないだろうし、当のミッターマイヤーは膨れてあらぬ方を向いていた。その横に向いた顔を自分に向けるため、両頬を両手ではさみ、目と目を合わせるようにした。ミッターマイヤーは、自分の拒否の言葉を無視され、無理矢理されるのかと身構えた。
「ウォルフ。頼みがある」
その金銀妖瞳は真剣だった。いつもの自分を求めるときの声ではない、と感じたミッターマイヤーは、自分の先走りを恥ずかしいと思った。結局は自分の方が望んでいたのではなかったのか、と思ったからだ。
「…何?」
顔が赤くなっているのを出来るだけ見られたくなく思い、俯こうとするが、その両手で俯かせてもらえず、目を逸らすことも許されなかった。
「今日は、絶対に俺のことだけ考えてくれ。今日は、俺の伴侶だ」
普段、ロイエンタールは冗談半分で『奥さん』とか『奥方』と言うことはあった。しかし、こんなに真剣な顔で『伴侶』と言われたのは、初めてであり、ミッターマイヤーは嬉しいとともに、改めてそんな風に言う恋人を不思議に思っていた。
「どういうこと…?」
その質問には軽くキスだけ返し、とにかく自分の言う通りにしてほしい、と言われた。それがロイエンタールのバレンタインのプレゼントだ、と。ロイエンタールの希望では、白のスーツを着ろ、ということだったが、これがない。そう言うと、とにかく白に近いやつを、という希望に、シャツではダメだ、とおまけが付いてきた。
白に近いといっても、かなりグレーなスーツを着るしかなかった。
”わざわざスーツに着替えるなんて…、どこか食事にでも連れてってくれるのかな…?”
鏡の前で、滅多に着ないスーツに照れながら、そんな風に考えていた。
ミッターマイヤーが着替えている間にロイエンタールはフェリックスを迎えに行った。連れてきたフェリックスはミルクもおむつも済んだあとらしく、機嫌良く起きていた。そんなフェリックスにフリル付いた、どう見
てもよそ行きの格好をさせたロイエンタールは、最後に自分が着替えに行った。
着飾られたフェリックスを抱き上げながら、「似合うぞ、フェリックス」と笑いかけると、楽しそうに笑った。
「でも、男の子にフリル付きはないようなぁ。」
と笑いかけながら、とにかくロイエンタールの次の指示を待った。部屋から出てきたロイエンタールは、真っ白いスーツ(間違いなく上等だった)に真っ白いシャツ、そしてクリスマスプレゼントのネイビーのネクタイをしていた。エナメルの靴まで白に統一されている中で、そのネクタイだけがやけに浮いていた。ミッターマイヤーから見て、ロイエンタールのダークブラウンの髪と白いスーツはとても合っていて、すっきりとまとまっている、と思った。
久々に見るスーツ姿のロイエンタールに見とれ、フェリックスを抱いたまま立っていると、ロイエンタールはフェリックスを取り上げ、ソファに座らせ、身体の横にクッションを置いた。
「おい、フェリックス、落ちるんじゃないか?」
何とか落ちないように、横に倒れないように工夫しているロイエンタールに話しかけた。
「長時間じゃない。大事な証人が寝転がりながらではおかしいと思わないか?」
何のことやらわからないミッターマイヤーは、何の証人かすらもわからなかった。
「おい…いったい何をするんだ? 何だ、証人って?」
「…まだわからないのか?」
ロイエンタールは身体を起こし、ミッターマイヤーのそばに来つつそんな返事をした。首を傾げて恋人を見つめたままのミッターマイヤーの指からプラチナの指輪を抜き取り、自分のもはずした。
ミッターマイヤーは向かい合いながら、ロイエンタールの手をじっと見つめていた。
”…まさか…?”
顔を上げると、ロイエンタールは上から微笑んでいる。本当に滅多に見ることの出来ない穏やかな優しい笑顔だった。
ミッターマイヤーの両手をロイエンタールの大きな両手が包み、深呼吸のあと、ロイエンタールはミッターマイヤーに何度目かのプロポーズをした。そしてミッターマイヤーも何度目かわからないイエスの返事をする。ここまでは、これまでもあったことだった。
「…ウォルフガング・ミッターマイヤー。汝はオスカー・フォン・ロイエンタールを伴侶とし、永遠に愛することを誓いますか?」
いつもの会話から続いたセリフに、ミッターマイヤーは驚きと納得と歓喜に襲われた。大きく見開かれたグレーの瞳を、生涯初めてではないかと思われるほど優しく光る金銀妖瞳は、真摯な眼差しで見つめていた。「ち、…誓います…」
ほとんどうわずった、かすれた声で、それでもミッターマイヤーは精一杯、そしてはっきり答えた。その返事とともに、ロイエンタールから右手の薬指に指輪がはめたれ、軽く優しいキスが降りてきた。キスのあともロイエンタールは黙って見つめたままだった。それでも目と目から、ミッターマイヤーには伝わった。
「お、オスカー・フォン・ロイエンタール。汝はウォルフガング・ミッターマイヤーを…伴侶とし、永遠に愛することを誓いますか…?」
「誓います」
左手でミッターマイヤーの両手を支えながら、右手は自身の心臓上にあて、まるで忠誠を誓う騎士のようなポーズを取った。
”このハートにかけて、誓う”
その右手をミッターマイヤーは、自分の方へ向け、薬指に指輪をはめた。「では、誓いのキスを」
そう自分で言いながら、ゆっくり身体を傾けていった。
さきほどの軽いものよりも少し深い、甘い、優しいキスだった。「…オスカー、フェリックスが見ている…。」
少し頬を赤らめたミッターマイヤーが恥ずかしそうにフェリックスから視線を逸らした。ロイエンタールは、フェリックスを二人の結婚の証人兼祝福人にしたかったのだ。
「フェリックスが祝福するかはわからんが、他に…一緒に祝ってくれる人はいないだろう」
言葉の裏に ”同性だから” という意味と、”ミッターマイヤーの既婚” という文字が含まれていると感じたが、ロイエンタールははっきりと言葉にしないことで、少しでも傷つけないように配慮したつもりだった。
俯いた恋人の両頬を両手でつかみ、顔を近づけてはっきりと言った。
「いいか、ウォルフ。俺達はたった今から伴侶だ。誰に知られることがなくても俺達が知っている伴侶だ。俺達が俺達を祝福してやれば…、それでいいんじゃないか、と思うんだが…」
涙もろくなったミッターマイヤーは、グレーの瞳を半分曇らせながら、自分が言ってほしかった言葉を紡ぐロイエンタールの唇を見つめていた。
「オスカー…」
その愛しい人の名を呼ぶとともに、ミッターマイヤーの瞳からは大粒の涙が落ちた。この涙は言葉にするよりも、ミッターマイヤーの言いたいことをより雄弁に語っていた。ロイエンタールはこの愛しい恋人を力強く抱きしめた。
「ウォルフ。俺達は今から伴侶なんだ。永遠に愛を誓った。だから、…だからお前がドイツに帰っても…、俺は心の伴侶として、ずっとお前を愛し続ける。愛している。ウォルフ」
その言葉に顔を上げようとしたが、力強い腕はそれを許さなかった。”オスカーは、俺がオスカーとエヴァとの間で悩んでいることに気づいていたのだろうか…”
そんなことは、ミッターマイヤーが口にも顔にも出さないまでも、生真面目で純粋なミッターマイヤーがその悩みに捕らわれることが早かれ遅かれ来ることは、誰にでもわかりそうなことだった。
ロイエンタールは深く反省しているのだ。”手折るべきでない大切なものを、まっすぐだった彼を、俺はねじ曲げてしまったのだ”
今日は最後のわがままのつもりだった。
たとえ一時でもロイエンタールの、彼だけの恋人であり伴侶でありたい、という彼の願いは叶えられ、今後別れるか、離れることになっても、耐えて行けるように、ロイエンタールは自身を励ましたかったのだ。
ミッターマイヤーにすれば、ロイエンタールのその言葉が、自分の人生を自身で選ぶ時の、周囲の環境として、ロイエンタールとエヴァンゼリンがあるならば、今ロイエンタールは身を引く決意は出来ている、とミッターマイヤーに伝えたことになる。このことは、ミッターマイヤーが妻のもとへ帰るチャンスを与えることになった。
しかし、ミッターマイヤーの今の決意は、ここにあるらしかった。腕の中の生涯の伴侶は、小さくつぶやいた。
「…をやる」
ロイエンタールは、自分の胸に直接囁かれた言葉を聞き取ることは出来なかった。
「え…? もう一度言ってくれるか?」
しばらくの沈黙のあと…
「だーかーらー! 俺をやる。オスカー。1日遅れのバレンタインのプレゼントだ」
それは、おそらく真っ赤な顔と真っ赤な目をしながら発せられた言葉に違いなく、ロイエンタールにとってこの上ないプレゼントであった。
「それは、永遠に有効か? 溶けてなくならないか?」
「…オスカー、愛してる…。本当に好きだよ。俺を見つけてくれて…、俺のこと見ててくれてありがとう」友人として10年、恋人になって半年ちょっと、そして今日からは伴侶として…
「これからも…、よろしく…」
滅多に積極的にならないミッターマイヤーからロイエンタールへキスを贈る。
二人はフェリックスの存在も忘れて、二人の新しい関係が導き出す世界へ飛んでいった。
1999. 8. 23 キリコ
2001.2.6改稿アップ