ドクター

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 フェリックスはもうすぐ1歳になる。
 二人の父親は、申し合わせるでもなく数少ない休みを申請していた。
 この世に誕生してから、初めての誕生日であり、昨年のその日、この世にフェリックスという、オスカー・フォン・ロイエンタールの一人息子が存在していたことを当の父親も知らなかったのである。

 9月の中旬、ウォルフパパと呼ばれるウォルフガング・ミッターマイヤーはフェリックスを抱きながら、秋の気配が漂う帰路を、急ぐでもなく歩いていた。
「フェリックス、楓の葉だよ」
 出来るだけ葉のかけていない落ち葉を拾い、自分と自分の恋人の息子の目の前に持ってきた。
 フェリックスは「う〜?」と言いながらそれを手に取ろうとしたが、ミッターマイヤーは慌ててその手を引っ込めた。
「見るだけでいい。お前に渡すとすぐに口の中に入れるから」
 そう苦笑しながら、また他のいろいろな色の形の落ち葉を見せ、これが秋であることを、1年前はまだ母親のお腹にいたために見ることが出来なかったフェリックスの生まれた秋を教えようとしていた。

 時々吹くやや冷たい秋の風からフェリックスを守るようにしっかり抱いたミッターマイヤーは、フェリックスの誕生日に思考を巡らした。
”ちょうど1年前か…。オスカーと俺がこういう関係になった頃、俺達の知らないところでオスカーの赤ん坊が産まれていた…。ひょっとしたらエルフリーデさんの病気がなかったら、オスカーも一生知らなかったかもしれないな”
 ふとそう思うと戦慄を覚え、腕の中の重みを確かめ、わざわざ声をかけ、その笑顔が確かに存在していることを確認した。
 ニッコリ笑うフェリックスに、自分もニッと口だけで笑い返し、またゆっくりと歩き出した。
”初めて会ったとき、フェリックスはまだ4ヶ月にもなっていなかった。全くされるがままで、まだ寝返りの気配もなかったけど…。ほんとに速いもんだな、子どもの成長って…”
 もうすぐ1歳になるフェリックスは、ヨタヨタしながらではあるが自分で歩けるようになった。
 今でも時々夜泣きもするが、何でも食べるし大きな風邪も引かず元気で、教科書通りというよりはそれよりも少し速めに成長しているように見えた。
”さすがオスカーの子!”
 そう誇りに思い、また苦笑を禁じ得なかったが、同時に寂しさも感じないでもなかった。
”俺の子…ではない…”
 普段はそんなことはあまり考えないのだが、ある時ふとそう考えてしまうことがあった。
 ロイエンタールは、ロイエンタールとミッターマイヤーの子だと言い張るが、生物学的にはエルフリーデとの子であり、遺伝学的にはロイエンタールの子であるが、ミッターマイヤーはあくまで養父なのだった。
 そしてフェリックスは今、フェリックス・フォン・コールラウシュのままなのである。
 そんな不安定な関係が、ミッターマイヤーを不安にさせたのかもしれなかった。

 ミッターマイヤーは3人の部屋に帰り、夕食の準備を始めた。
 食事はお互い出来るだけ家で食べるようにしていた。お互いの仕事が許す限り自分達で調理し、一緒に愉しむ。その方が経済的でもあり、精神的にも助かっていることを、お互いが知っていた。
 また、一緒に食事することにこだわったのは、ロイエンタールの方だった。2人きりで暮らしていた頃よりも、ずっとうるさくなった、とミッターマイヤーは正直に思った。
”フェリックスのため…”
 そうに違いない、とミッターマイヤーは確信していた。
 オスカー・フォン・ロイエンタールがどのような生い立ちを送ってきたか、ミッターマイヤーは詳しくは知らなかった。しかしどこか家庭や愛情に飢えている、と感じるものがあり、尋ねることも出来なかった。
”自分が寂しい思いをしてきたから…、自分の息子には同じ思いはさせたくない…。そう考えてるんじゃないかなぁ…。はっきり知らなくても、オスカーの理想の家族になりたいと俺も思うんだけど…”
 キッチンから見えるところに置いたベビーベッドの柵の中で立ち上がり、動ける自分が嬉しいらしく暴れているフェリックスを見つめながら、そんなことを考えていた。

 しばらくすると、ベビーベッドの住人が不快を訴えてきた。
「あ〜〜うっ!」
「…フェリックス。今、パパはご飯作ってるのに…」
 ため息を付きながら、エプロンを外しながらフェリックスに近づいた。
 声の出し方で、何を訴えているのかわかるのだ。この声音は間違いなく、うんち、だった。
 ベビーベッドの手前の柵を降ろし、それ用のバスタオルを敷き広げその上にフェリックスを寝かせた。
 フェリックスは自分で気持ち悪いと訴えておきながら、キレイにしようとすると身をよじって邪魔をする。それは触られるのが嫌だとかではなく、おそらく「こら!」とか構ってもらって遊んでもらえるのが嬉しいに違いない。
「もう、フェリックス! 暴れたら足にうんちが付くぞ」
 ミッターマイヤーも慣れたもので、からかいながらテキパキとフェリックスのおむつを変えていった。
 ちょうどはずすとき、おしっこもしたが、これも慣れたものでさっとおむつで受け、自分もベッドも汚さずに済んだ。
「あぁ〜 くちゃぁ!」
 そんなことを言いフェリックスに覆い被さりからかうと、フェリックスは楽しそうに手足を動かした。おむつ一つでも話しかけ、遊んでやることが大事なのだとミッターマイヤーは身体で覚えたのだ。
”最初の頃、俺もオスカーもメチャクチャやってたよなぁ…”
 そんなかつての不器用な自分たちを思い出し、ミッターマイヤーはこの1年弱を振り返っていた。
 
 大も小も済ませたばかりのフェリックスに今必要なのは、おしりの乾燥だと考え、おむつを閉じてしまわずそのまましばらく様子を見た。
 フェリックスはいつもは覆われた自分の下半身が気になるらしく、手や足を動かし、しばらくするとかわいいおちんちんを引っ張ったりし始めた。
「気になるか? フェリックス」
 そんな様子にミッターマイヤーは苦笑した。
 フェリックスも男の子だ、とマジマジと見つめてしまった。
 産まれてすぐに処置されたらしいそれは、かわいいピンクで、余分なものがないぶん清潔であった。
 ミッターマイヤーはふと、今まで気が付かなかったことに思い当たり、当然のことなのに驚いた。
”なるほど…。フェリックスは間違いなくオスカーの子か…”
 そんな観察をした自分に苦笑いした。

 

 そこへ、もう一人の父親が帰宅した。
 ミッターマイヤーはベッド柵を降ろしているためフェリックスのそばから離れることが出来ず、出迎えせずにお帰り、と言った。
 フェリックスの目の前で、お帰りの挨拶のキスをしようとするロイエンタールに軽く肘鉄を食らわし、フェリックスにオスカーだよと小さく言った。
「なんだ? このフェリックスの格好は…?」
 上半身は普通に長袖のシャツを来ているが、下半身はおむつを敷いているもののむき出しだった自分の息子の格好に、ロイエンタールは少しだけ眉を寄せた。
「何って…。おしりの乾燥。今までだってやってたじゃないか…」
「…だが、小さいときだけじゃなかったか?」
「今もまだ小さいし、これはおむつしている間、ずっとやった方がいいよ。すぐにかぶれるんだから」
 納得したのかそうでないのか、ロイエンタールは大きく首を上下させ、口を真一文字にしていた。

「今更だけど、フェリックス、手術受けてるんだな…」
 ロイエンタールがフェリックスを抱き上げ、ベッドに腰掛けていたミッターマイヤーの目の前にフェリックスのシミのない丸いおしりが来た。
「ああ…。こういうことは父親の意見を聞くべきだろう」
 なぁフェリックス、と外では見せそうにない笑顔でフェリックスに笑いかけ、フェリックスも声を出して笑い、自分の手で父親の顔を殴っていた。
「…でも、妊娠したことも、一人で出産したことも言わなかった人なんだから、そんな相談も何も…。」
 そう言って苦笑するミッターマイヤーを上から少し睨み付け、「どうせ俺には父親の資格なぞありません」、などと小さく呟いた。そのままロイエンタールはフェリックスを連れて窓の方へ歩いていった。先刻ミッターマイヤーがしたように、ロイエンタールも少しでもフェリックスに世界を教えようとしているらしい、とミッターマイヤーは思う。その後ろ姿はどこから見ても立派な親だった。

”親の資格…か…”
 ロイエンタールは初め、フェリックスを受け入れようとはしなかった、と思われた。
 抱き上げようとも、世話をしようともしなかった。
 いつの間にか、しかも長くかからなかったが、フェリックスは自分がロイエンタールの子だと認めさせ、あのロイエンタールが、と誰もが驚くくらいの親ばかにしてしまった。
 ロイエンタールはフェリックスを大事にしている。
 フェリックスももちろんロイエンタールに懐いている。
 フェリックスという存在が、オスカー・フォン・ロイエンタールを変えた、とミッターマイヤーは思っている。 いつもロイエンタールがフェリックスを抱いて話しかける様子にそんな風に考えてしまう自分に気が付いていた。自分の方が子どもの扱いが上手くても、いろいろな知識があったとしても、小児科のドクターだとしても、自分の精一杯の限り、父親になろうとしても、ロイエンタールにはかなわない気がしていた。
 ロイエンタールは、子どもの扱いがぞんざいでも、おしりの乾燥の知識がなくても、外科医でも、間違いなく父親なのである。
 そう考えると、3人で暮らしていても、自分だけが入っていけない空間があるようにも思えた。
 しかし、ミッターマイヤーは自分という存在が、かつてのロイエンタールをどれ程変えた存在であるか、自分でわかっていなかった。

 

 寝物語にロイエンタールがミッターマイヤーに話しかけた。
「ウォルフ。俺ももちろん小児科は習ってきた。だが育児はわからん。お前がいてくれなかったら、俺はどうなってただろうな。おしりなんか目も当てられなかったかもな」
 天井を見つめたまま自分の言ったことに笑う恋人に、ミッターマイヤーは苦笑しながらも、その言葉を否定した。
「きっと、やっているうちに覚えるんだ。俺がいなくても、お前は父親だし…」
 ほんの少しねたみ混じりの本音がもれたことに、ミッターマイヤーは少しだけ後悔した。そしてロイエンタールはその言葉とそこに含まれる意味を正確に理解した。
 ロイエンタールは上半身を起こし、同じように天井を見ていた恋人に上から話しかけた。
「俺はお前も父親だと思ってるんだがな…って何回も言ってるよな?」
「…うん…」
 ミッターマイヤーは天井から目を離せなかった。
「それとも血の繋がりがなければ、親子にはなれないのか?」
「そうは思ってないけど」
 少し語調を強くして、一瞬だけ恋人と目を合わせたが、すぐに真上に視線を戻した。
 そしてしばらくそのまま見つめていたが、身体をひっくりかえしうつぶせになり、枕に話しかけるように呟いた。
「なんか…ちょっとだけ寂しく感じる時があるんだ…。それだけ。ゴメン、オスカー」
 表情は見えなかったが、今頃になってそんな寂しい思いを抱かせていたことに気が付いたロイエンタールは、恋人の頭をなでながら、耳元で囁いた。
「…あのな、ウォルフ。俺がお前とフェリックスにどれだけ妬いているか、知ってるか?」
 ミッターマイヤーは返事をしなかったが、枕から右のグレーの瞳だけを出し、目だけで問うた。
「例えば、今日もだ。あまりにも自然とフェリックスの世話が出来るお前も羨ましいし、お前に思いっきり手をかけてもらえるフェリックスも羨ましい。フェリックスはおちんちん丸出しで平気でいたし、お前もあいつを思ってやったことなんだろう。チェッ。フェリックスばっかり…ウォルフばっかり…って俺は妬いてるんだぞ?」
 ロイエンタールの穏やかな金銀妖瞳は優しく光り、その大きな手はずっと柔らかい蜂蜜色の髪を梳いていた。
「…ウソだ。慰めてくれなくてもいいよ。俺はお前もフェリックスも本当に愛してるんだから…」
 枕に顔をうずめ、もう聞きたくない、という仕草をしたミッターマイヤーの肩を少し無理矢理引きよせ、自分の腕の中に潜り込ませた。
「俺だけを見てくれよ。ウォルフ」
「…フェリックスはまだ赤ん坊だ。大人の手がいるだけだって…」
「いいから、俺の世話も焼いてくれってば」
 頭の上からのそんな要望に、腕の中の人はクスクス笑い出した。
「オスカー、お前、子どもみたいだな」
「…そうか。子どもってこんな感じなのかな…」
 そんな反応にミッターマイヤーは少し驚いた。
 子どもというのは、自分の本能のままに突き進むような、わがままな存在であり、人生の中で短い間そうであって良い期間である。もしかしてロイエンタールにはそんな時期が少なかったのかもしれない、とミッターマイヤーは無意識に分析した。ミッターマイヤーはそう思うと、おかしさと同時に、幼いオスカーを寂しく愛おしく思うのだった。
「…いきなり俺は二人も子どもが出来たのか?」
 腕の中で笑うでもなく、半分真面目な口調に、今度はロイエンタールの方が驚いたが、しかし正直に言った。
「俺はお前にだけは甘えられるから…」
 ミッターマイヤーは自分の耳を疑った。
”わがままで正直なオスカー・フォン・ロイエンタール。子ども時代からやり直せるなら、俺が協力する。
俺はお前に、そしてフェリックスにも、俺が与えられる限りのたくさんの愛をやる。オスカー。こんなお前も愛してる”
 黙って顔を上げたミッターマイヤーは、ちょっと今夜は雰囲気が違う恋人にいつもと変わらない優しいキスを贈った。

 
 9月26日。
 フェリックスは満1歳の誕生日を迎えた。
 父親二人の合作の手作りケーキに、1本のブルーのローソクを立て火をともし、主役のフェリックスを二人の間に座らせた。
「おめでとう。フェリックス。さあ、火を吹き消して」
 ミッターマイヤーが深呼吸をすると、フェリックスも同じようにしようとしたが、なかなかうまく行かなかった。それでもしぶとくフェリックスにやらせたかった二人は、何度もチャレンジさせ、ついに火を吹き消したとき、両手を上げて喜び、フェリックスを大仰に誉めた。
「フェリックス。えらいぞ!! 今日からお前は1歳だ」

 お世辞にも整った形とはいえないケーキを切りわけ、スポンジ部分をフェリックスにも食べさせ、3人でケーキパーティをした。ほとんどをロイエンタールとミッターマイヤーで食べることになり、また3人とも顔中クリームだらけだった。
「…なぁ、ウォルフパパ? お祝いのキスはいいよな?」
「ん? ああ。いいんじゃないか。フェリックスが…」
 喜ぶよ、と続け、てっきりフェリックスに贈られると思っていたキスは、ミッターマイヤーの唇に振ってきた。
 驚きつつ、ちょっと視線を左にやると、そこのフェリックスの顔があり、その目線は父親達の唇に集中していた。
 ミッターマイヤーが真正面アップの美しい顔をみると、金銀妖瞳も開いたままその目は笑っており、ミッターマイヤーもグレーの瞳を閉じず、つられて笑ってしまった。
 父親達が笑いながらしていることは楽しいことに違いない、と理屈でなく思っているフェリックスは、そのキスに混じろうと同じようにした。
 そのキスはちょうどロイエンタールの右頬に落ち、その様子に二人はますます笑った。
 そしてほぼ同時に、おめでとうフェリックスと言いながら、交互にフェリックスに口付けた。

 

 秋はますます深まってきたが、ロイエンタール家は明るく温かい雰囲気が漂っていた。

 

 

フェリックスの誕生日、原作と大きく違います。すみません。産まれる時期もですが…(父若し)


11000ヒットしてくれた仲田優希さんからのリクエストでございました…。旧サイトのね。

「父親なロイエンタール」が見たいです〜〜(>_<)!! 勿論ミッタも出てきて…基本的にはロイエンタールとミッタ、かな。 「フェリックスになつかれるミッタに嫉妬(?)するロイ」と 「やっぱり血の繋がりには勝てないのかな、って嫉妬(?)するミッタ」のセットで(笑)。

タイトルは優希さんにつけていただきました。キリリク史上(?)、最短で書いた話です。

 

1999. 11. 17 キリコ
2001.7.28 改稿アップ

 

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