ドクター外伝

   <その1>


「Dr. ミューゼル」
 呼ばれた本人、ラインハルト・フォン・ミューゼルは、物品でごみごみした廊下を颯爽と歩いていた。
 振り返るとき、その豪奢な金髪がなびき、合わさったアイスブルーは優しさとは縁遠く、それでも見惚れてしまうその顔に、一度ゴクリと咽を鳴らしながら、受付のポーリンは伝言を渡した。
 無表情のまま受け取り、チラと横目でポーリンを見、一度軽く頷いた。それでお礼のつもりらしい。
 態度も存在感もレジデンス1年目とは思えないほど、いろんな意味で病棟中に有名だった。
 ここERでは、人の出入りも激しく、珍しいほどの外見は目立って仕方なかった。
 そして、本人が目立つだけでなく、いつもそばにいる長身の赤毛の青年とのペアぶりも有名度に拍車をかけていた。
 二人とも、内科の新人レジデンスである。
 幼なじみの二人は、そろってスキップし、大学、医大を卒業しており、まだ二十歳を越えたばかりであった。そこまでスキップするのも珍しいのに、二人全く同じ経歴で、同じ病院の同じ病棟に勤務し始めており、注目されるのも無理はなかった。

 ラインハルトはスタッフドクターに伝言で呼ばれ、管理棟に向かっていた。わざわざそこに呼び出すということは、病棟内では話しにくいことなのだろうと、ラインハルトはため息をついた。
「失礼します」
 軽いノックの後、丁寧に言い、了解の返事のあと静かに部屋に入った。このスタッフドクターはセイント・ジョゼフ病院のERに勤務して長く、かつてロイエンタールやミッターマイヤーもいろいろ世話になった人物だった。
「ああ、Dr. ミューゼル。かけたまえ」
「いえ。仕事が残っておりますので」
 いかにも速く戻りたいと体全体で表現する若いレジデンスに、スタッフドクターはため息をついた。長年たくさんのレジデンスを見てきたが、初めて見るタイプだったのだ。
「君のオーベン(指導医)は、Dr. ヤンだったね?」
「はい」
 無表情のまま入り口付近に立ったままだったラインハルトは、今更なんだと言いたいのを堪えていた。
「それで…どう、かね?」
「…どう、とは?」
「あ、いやつまり…」
 大先輩のドクターにも臆することない様子は立派なものだが生意気とも取られがちであり、ラインハルトの場合も例外ではなかった。それでもスタッフドクターは、大人としてため息だけで、早くも諦めているらしかった。
「私はDr. ヤンを尊敬しています。方法論は認めかねますが」
 聞き難そうにしていた人物に、いきなり回答を示した。勘が良すぎるのも嫌われる原因になりかねず、やはりこの場合も例外ではなかった。
 ムッとしたスタッフドクターは、またため息をついた。
”ヤンも変わっているが、この青年も別の意味で特殊だな…”
 と、自分のオーベンとレジデンスの組み合わせを後悔していたのである。しかし、今更替えることも出来ず、何か問題でも起これば、周囲の目にも不自然なくチェンジ出来るのに、と考えて彼を呼びつけたのだ。
 どうやら無駄に終わったことを、どちらも悟った。
「…戻っても宜しいでしょうか」
 その一言で、あっさりと会話は中断された。会話というほど、何も話し合えなかったが。
 スタッフドクターは、変わった部下を持ってしまった自分を哀れに思いながら、また大きなため息をついた。

 
 あくまで丁寧に「失礼します」と退室したあと、ラインハルトはERへ戻っていった。その途中の大きな窓から外を見ると、真冬のことでもあり吹雪のような雪にため息をついた。部屋の中にいる以上、寒さは感じないし、それほど寒がりでもなかった。ただ、雪になると、内科も外科も患者が増えるのである。
 しばらく見るともなしに雪の舞いを見ていると、後ろから静かに声を掛けてきた人物がいた。
「…雪を見ておいでなんですか?」
 振り返らなくてもラインハルトには気配だけでそれが誰だかわかり、黙ったまま小さく笑った。
「雪なんか別に珍しくもないがな。…お前、仕事は終わったのか?」
「はい、先ほど。ラインハルト様、お手伝いしましょうか?」
「余計なお世話だ」
 クスクス笑う後ろの人物を振り返ると、深いブルーの瞳も優しく笑っていた。
 ルビーを溶かしたようなその髪を、ラインハルトは前髪一房取り、クルクルと手で回した。そんなことも慣れているらしい青年は、ただ黙ってされるがままだった。
 ジークフリード・キルヒアイスは、ラインハルトと同い年とは思えないほど落ち着いた、優しい人物だった。同じ内科のレジデンスであったが、これほど外見も中身も、またドクターとしての評価が違っている二人は珍しいと噂されていた。
「今日はケーキを焼こうと思いますので、早く仕事、頑張ってください」
「今からケーキ? なぜだ?」
 ラインハルトはケーキは好きだが、わざわざ勤務の後に、と理解出来なかった。
「…もうすぐはバレンタインですから」
「ああ、そうか」
 二人ともプレゼントする相手もいないため、そういったイベントの日は出来るだけ一緒に過ごすようにしていた。もっとも二人は同居しているので、休みの日もたいてい顔を合わしている。ただ今年のバレンタインはどちらも夜勤だったため、少し早いお祝いのつもりだった。
 バレンタインは、二人の誕生日のちょうど間にあり、1月から3月の14日は忙しいといつも笑い合っていたが、ドクターの免許を取得し、その勤務の忙しさにラインハルトはすっかり忘れていた。
「わかった。出来るだけ早く片づける。待っててくれ」
 そう言いながらまた前髪に触れて、優雅に走って行った。

 

 ヤンは、初めてのレジデンスに戸惑っていた。
 4年目で受け持つのも遅い方であったが、ヤンのペースではそれでも早いと思っていた。しかも相手は病院中が注目しているのではないかと思うくらいのラインハルトである。
 ため息の毎日であった。

 休憩室で自分で入れたおいしくない紅茶を片手にため息をついていたヤンを見かけたフレデリカが、声を掛けた。
「Dr. ヤン。お疲れみたいですわね」
「…ああ…」
 素直にそう言って、また大きなため息をついた。
「…もしかして、レジデンスのことで悩んでいらっしゃいます…?」
 目の前の椅子に座りながら、フレデリカはいきなり核心をついた。
「あー、そうだね。でも、悩んでいるというのとも違う気もするんだが…」
 ヤンはラインハルトを認めていた。
 初対面でその美貌にも驚いたが、医療に関する知識は相当なもので、かなり古いものから最先端まで網羅されていた。そのため応用が利くであろうし、きっと野戦的な病院に行っても大丈夫だろう。そういう意味で、彼はER向きなドクターだと言えた。ただし、技術が伴えば、の話であった。
 経験の少ない今、正しい理論も屁理屈にしか聞こえないし、先輩からすれば「そんなことは言われなくてもわかっている」と言われるのがオチだ。
 今のところ、ラインハルトは小生意気な新人と見られていた。
 そんな彼をヤンは高く評価していたが、ラインハルトは彼から多くを学ぼうとはしていないようだった。ヤンの時間の掛かりすぎる、能率の悪い医療を低く見ていたのだ。
 ヤン以外のスタッフに言わせれば、「知らないくせにえらそうに」となるであろう。何しろヤンは正しいことをしていたから。しかし、認めてはいても実行出来る医療従事者はほとんどいなかったのである。
 ラインハルトはその理論すら認めてはいなかった。
 彼がヤンを認めているのは、その知識の幅広さだった。
 よく眠っているようにしか見えないヤンが、いつそんな勉強をしているのか不思議に思われるほど、ヤンはいろんなことを良く知っていた。
「…だからとにかく、彼に足りないのは経験だけ、のようにも思うんだけど…」
 突然、頭の中だけで結論付けるような話し方もフレデリカには慣れっこであり、何となく言いたいことはわかっているつもりだった。なので、敢えて聞こうとはしなかった。
 ヤンが心配しているのは、ただ経験を積めばよいのではなく、どれだけ自分の中に吸収し、自分のどこがおかしかったか認めることが出来なければ、全く経験値にはならない、ということだった。
 今の理屈攻めのラインハルトが、将来どんなドクターになるのかわからないが、少なくともヤンから見て彼はこのままではただの優秀なドクターになるような気がしてならなかった。


「もっと患者の話を聴いてあげないと…」
 ヤンは穏やかに言う。ラインハルトも神妙に聞いてはいるが、本人は「聴いたつもりだ」と言いたいらしく、返事はしなかった。通り一遍のことであれば、何もドクターが聴く必要はないのだ。そこら辺、ラインハルトはまだわかっていなかった。
「患者を励まして、気分だけでも良くなって帰してあげよう」
 そう言うと、ラインハルトは憮然として言い返していた。レジデンス期間が半年経ってもずっと同じ注意を受けることに嫌気がさしたのか、最近では何も言わなくなっていた。
「病気を治してやらなくて、気分よく帰れるんでしょうか」
「う〜ん…すべての病気が簡単に治るものでもないし、病は気からというからね」
「……」
「本当だよ。気分が落ち込むと免疫力が下がる。これは医学的にも証明されているだろう?」
 ラインハルトはヤンの言いたいことはわかった。だが、それが本当にドクターの仕事なのだろうか、ということに今ひとつ納得を得られていなかった。
 小さい頃からずっと健康だったラインハルトには、ドクターという存在がどれほど患者にとって大きなものか、わからなかったのかもしれない。

 とにかくこんなやり取りが、この半年間ずっと続けられていたのである。
 ヤンの気長さもたいしたものだが、ラインハルトの強情さはその上をいっている、と言えた。それでもラインハルトがオーベンの変更を求めないのは、やはり尊敬しつつ、どこかヤンを気に入っていたからだろう。

 

 


この話では、アンネローゼ様はいないことにして下さい…
ヤンとカイザーの会話って…ムツカシイですね…(^^)ゞ

2000. 2. 2 キリコ
2001.12.27改稿アップ

 

 <<<BACK     銀英TOP     ドクタートップ    NEXT>>>