ドクター外伝 

  <その2>


 次の日、意外な人物がセイント・ジョゼフ病院のERを訪れた。

「ロイエンタールはいるか」
 背の高い、その上ぶっきらぼうな物言いに、受付にいたポーリンが驚いた。粗暴な雰囲気をまとった人物は、警戒心を呼び起こすには充分で、それでも医療事務の習性で愛想よく対応した。
「どちらさまでしょうか?」
 首を傾げてニッコリ笑うポーリンは、病院よりもデパートの受付のようにも見えた。
 その男性が返事をする前に、受付台の下の方から小さな声が聞こえてきた。
「ワルター、何するの?」
 姿の見えない声の主の方に、ポーリンは身を乗り出した。
 そして、そこに見覚えのある小さな姿があった。
「…フェリックス坊や…?」
 いきなり名を呼ばれて、フェリックスは大きな瞳をますます大きくしていた。

 実はこのとき、ER内は戦場と化していた。
 高速道路の玉突き事故により、負傷者が次々運ばれて来ていたのだ。
 そんな中で、来訪者シェーンコップの声はのんびり聞こえただろう。反応出来たのも、たった一人受付にいたポーリンだけなのである。
「えっと、Dr. ロイエンタールは転院されましたけど…」
 相手の素性を知る前にフェリックスの存在に驚き、同時に電話が鳴り、あちこちの部屋から指示が飛んでいた状況にパニックになっていたポーリンは、何とかそれだけ返事した。
「あれっ、どこへ行ったんだ?」
「えーっと…あ、はい、検査室へ、すぐ持って行きます!」
 会話があちこちに飛び、結局シェーンコップとポーリンとの会話は成り立たなかった。
 もしも、彼女が落ち着いていたら、目の前の人物こそ、ロイエンタールとミッターマイヤーに悲しい思いをさせた人物だと気づき、今はいない憧れの彼らのためにリベンジしたことだろう。
 シェーンコップは廊下を走っていく小柄な後ろ姿を見つめながら呟いた。
「…ふうっ…まずいときに来たかな…」
「…ワルターもドクターだろ? 手伝えば?」
 フェリックスも周囲が忙しそうなのを見て言った。
「ああ、そうしたいんだが、ドクターの権利ってのがあってな。この病院で働く資格が俺にはないからな」
 ドクターは各病院で雇われていると決まっており、研究や研修など、正規の手続きを踏んでいなければ余所の病院でいきなり働くことは出来ないのだ。

 ほとんどの患者が運ばれてきて、外の救急車も出ていこうとしていたとき、ERの入り口から若い男性二人が入ってきた。
「あのっ! 誰か手伝ってください!」
 相手の腕を肩に回し、支えるように歩いていた背の高い男性が、救いを求めた。しかし、目の前にはシェーンコップとフェリックスしかいなかった。
「生憎と出払っていてね」
 そう言いながらフェリックスを受付に座らせ、自身は倒れかけているもう一人の反対側を支えた。
「…あなたは?」
「ん? ああ、通りすがりのドクターさ」
「ドクターなんですか?」
「ああ。それより、この患者、なんでストレッチャーに乗って来てないんだ? ま、どこか開いてるとこに運ぶか…」
 赤い髪の青年が驚いている間に、シェーンコップは自分のペースに持ち込んだ。こんなときにグダグダ言っている暇はなかった。
「お前は、患者の家族か?」
「…いえ、ここのレジデンスです」
「…レジデンスが事故に偶然あったのか。ふ〜ん」
 そんな会話をしながら、開き部屋を探していた。見つかった部屋は奥の方の個室であった。設備があるのか何もわからないが、とにかくベッドに横にする必要があった。
「いえ、あの…今、ここで事故にあったんです、ラインハルト様が…」
 その名を口に出した途端、赤い髪の青年の顔が真っ青になった。支えている金髪が揺れるたび、唇を噛みながら見つめている様子は、家族にも見えたが、あまりにもこの二人は似ていなかった。
「おい。お前ぃさん、名は」
「…キルヒアイスです」
「よし。俺はシェーンコップだ。生憎俺はここで治療出来ない。指導することは出来るんだが、お前ぃさん、出来るか?」
「…はい」
 青い顔でも力強く頷く様子に励ましながら、取り敢えず病室へ連れ込んで治療を開始した。
 ベッドに横たわらせたとき、ラインハルトが目を覚ました。
「…キル、ヒアイス?」
「ラインハルト様! 大丈夫ですか?」
 額から血を流していたラインハルトは、目覚めてすぐにキルヒアイスを探した。キルヒアイスはその手を握ると、いきなり謝りだした。
「すみません! ラインハルト様。私がそばについていながら…」
 苦しそうに眉を寄せ、泣き出しそうな顔をしていたキルヒアイスに、シェーンコップは驚いた。
「ま、謝るのは後にして、治療を始めろ」
「…誰だ? お前は…」
 苦しそうにしていたラインハルトは、それでも見知らぬ男に警戒し、乱暴な口の利き方をした。それをキルヒアイスが止め、自分が治療する、ということに納得した。
 シェーンコップは、腕組みしながらキルヒアイスの行動を見ていた。キルヒアイスはいつもなら落ち着いて患者と話し、手技も的確であった。だが、相手がラインハルトとなると、緊張し、懺悔の念が強い分、傷口一つ一つに驚いていた。
 見るに見かねてシェーンコップが小さく呟いた。
「こいつは命には別状なさそうだが、そのままじゃ傷口から感染してしまうぜ? 誰か呼んで来ようか?」
 あくまで治療に加わることが出来ないシェーンコップには、これくらいのことしか出来なかった。そう言わなければならないほど、キルヒアイスはもたついていたのだ。
「いいんだ、キルヒアイス。俺はお前にやってほしい。俺は大丈夫だ」
「…すみません、ラインハルト様…」
 端で見ていると、どちらが患者なのかわからないくらい、顔色といい勢いといい、逆転していた。それでも友人同士なのか、助け合っているという雰囲気が読みとれ、シェーンコップはため息をつきながら、それでもドクターらしく見守っていた。本当に危なくなってきたら、自分が手を出すつもりでいた。それがたとえ法律違反であっても。
 ラインハルトは、キルヒアイスの温かい手を感じながら考えていた。
 今、自分はキルヒアイスだから傷口を見せられる、と。目の前の誰だか知らない人物には触れられたくないと思うくらい嫌だった。ただ、黙って聴いていても、シェーンコップの指示は的確であり、ドクター経験も豊富なのが伺えた。なのに、治療はしてほしくなかった。
”なぜだ?”
 ラインハルトは自分に問うた。

 深く考えていくうちに、ラインハルトはヤンの言葉に行き着いた。
 「患者の話を聴く」「患者を励ます」「患者に信頼してもらう」などなど…
 ラインハルトはキルヒアイスを信じている。というより、彼ほど信頼出来る人物が他にはいなかったのだ。怪我をしてからキルヒアイスと話をしていなかったが、それは彼らにはもうすでに充分の友誼があり、口にしなくても励まされていることはわかっていたし、心配してくれているのを知っているからである。
 これが、シェーンコップだったら、そして自分がもしもドクターでなくただの一患者だったのなら、自分に選択権はなく、嫌だと思っていても治療してもらうしかなく、それがもしも、例えば事故のことすら聴かない、黙ったまま治療し、終わったらハイさよなら、というドクターにあたったら…と考えたのだ。
 自分が怪我をしてみて、ほんの少しヤンの言うことがわかった気がしたライハルトだった。
「キスヒアイス…」
「…あ、しみましたか?」
 この会話に、シェーンコップは苦笑を禁じ得なかった。
 予想以上に時間がかかったが、後はスタッフドクターかオーベンに診てもらえ、と言い残し、シェーンコップは部屋を出た。
 そして、そこで初めて受付に置いてきたフェリックスを思い出した。

 この時フェリックスは、受付の台に座ったまま、事故の聴取に来た警察官の対応を、たった一人でやっていた。ただニコニコと笑っていただけだったが。

 

 シェーンコップはヤンを捕まえた。
 彼らは知り合いであり、しかし特別連絡を取り合ったりする友人でもなかった。
「おい、ヤン。ロイエンタールはどこへ行ったんだ?」
「えーっと、私も知らない…。おいで、フェリックス。俺のこと、覚えているかぃ?」
 ほとんどフェリックスに意識が集中していたヤンは、シェーンコップの問いも上の空で答えていた。
 フェリックスはヤンを覚えてはいなかったが、それでも黙って抱かれ、ニッコリ笑顔を向けていた。
「シェーンコップ、俺、フェリックスに予防接種したんだよ」
 なーっと腕の中の彼に同意を求めつつ、珍しく満面の笑顔を浮かべていた。
 しかし、黙ったままのシェーンコップの雰囲気に、ヤンはやっとフェリックスを手放した。
「…まさか、君がフェリックスの父親になっていたとはね。驚いたよ…」
「親じゃなくて、保護者だ」
「お母さんは?」
「…2週間前にな…」
 シェーンコップは腕の中のフェリックスを見つめながら、それだけで説明を終えた。フェリックスはシェーンコップを見つめ返し、すっかり懐いている様子に、ヤンはかつての親子の姿を重ね複雑な気持ちになった。
「えーっと、たぶんロサンゼルスのこの病院にいるんじゃないかと思うんだけど、違ったらごめんよ。」
 そう言って、ヤンはメモを手渡した。ヤンはシェーンコップがロイエンタールになぜ会いに行くのかなどは問わなかった。これはフェリックスを中心にした彼らの問題だと思ったからだった。
「サンキュー。…ところでミッターマイヤーも一緒に行ったのか?」
 姿が全然見えないもう一人の知己のことを、シェーンコップは尋ねた。
「いや…ドイツへ帰ったよ」
「…ふ〜ん…」
 シェーンコップは少し意外そうに、目を見開きながら頷いていた。
 どちらも二人の関係を知っていたが、別れてしまったのなら敢えて何も言わない方がいい、と二人ともが思っていた。
「…シェーンコップ、フェリックスを連れて行くのかぃ?」
「ああ。」
 その返事で、ヤンはシェーンコップの行動がわかった気がした。
「何だかわからないけど、君も元気で…」
「ああ。…エアメールでも楽しみしてろ」
「はぁ?」
 ヤンはキョトンとした。フェリックスも会話の間中、ただ黙っていた。
 そしていきなり帰ろうとしたシェーンコップにまた驚いた。
「今から行くのか?」
「ああ。ロイエンタールの奴に急いで会いたいからな。フェリックス、飛行機に乗れるぞ!」
 がはははっと大きく口を開けながら冗談を言って、本当にさっさと去っていった。
 入り口を見つめていたヤンは、ため息をつきながら心の中でフェリックスにお別れを言った。

 ちょうどその後、キルヒアイスは廊下に立っていたヤンを呼び、ラインハルトのことを報告し、この怪我人1日検査入院で大丈夫と太鼓判を押されたのだった。

 

 
 数日後、奇妙な診察風景が目撃されるようになった。
 ヤンは、噂の対象が自分のレジデンスと聞き、冷や汗ものでその現場を探した。
 通りかかった診察室に、目立つ豪奢な金髪を認め、そっと入り口から入ると、大きな声が聞こえてきた。
「あなたは大丈夫だ! 気を強く持ちなさい!」
 まだ問診の段階らしいのに、いきなり大声で話しかけていたラインハルトに、ヤンは別の意味で驚いていた。そのまま黙って会話を聞いてみると、
「最近、なんだか夫がよそよそしくって…なんだか私の方も体がだるいし、家事もやる気が起こらないんです…」
「えっ! そんな旦那さんとは別れてしまいなさい。あなたのような方を蔑ろにするとは、男の風上にもおけません。そして、あなたも自分の道を歩んでください。それがあなたの健康にはいい!」
 至極真面目にそんなやり取りをしており、患者の方が焦って「主人にも良いところがあって…」などと口ごもる次第だった。
 口調はぶっきらぼうだったが、取り敢えず相手の気持ちにはなっている、つもりらしかった。
 そして、患者のそばに座り込み、目線を合わせたり、とにかく患者に一歩近づこうとしている様子がうかがえた。彼なりに信頼を得ようと努力しているのだろう、とヤンは思った。

 そばについていたジュディも、吹き出すのを必死で堪えているらしく、ヤンと目が合うと笑いながらウィンクし、ヤンは後頭部をポリポリかいた。

 

 そんな極端なラインハルトをヤンは苦笑しながら、見守っていた。
 いつか、患者に信頼される、立派なドクターになれる日まで、そうしていることだろう。

 

 


笑って読んでいただけると嬉しいのですが…(笑)

2000. 2. 2 キリコ
2001.12.27改稿アップ

 


長らくのおつきあい、ありがとうございましたm(_ _)m



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