オスカーとフェリックス
=フェリックスの父たち=
エヴァンゼリンがフェリックスとアンナを連れ、ミッターマイヤーの両親の元へ行った。今ではロイエンタール家に引き取られているとはいえ、もともとはミッターマイヤーが養子にしていたため、孫のような存在なのだ。両親もわかってはいたのだが、血の繋がらない孫を愛しく思い、会わせるために連れて行ったのだった。
ロイエンタールとミッターマイヤーは久しぶりに二人きりで呑む機会が出来た。誰もおらず、泣き声に中断させられることもなく、静かだった。外出のチャンスだったが、二人とも家でのんびり呑もうということになった。お互いの家を行ったり来たり、仕事の後、連日呑んでいた。
真夜中になる、エヴァンゼリンに迷惑がかかる、音を立てたら子どもが起きるだろうという、それらすべてから開放された二人は、泥酔まではいかなくてもかなりの量を呑み、すっかりいい気分でいた。何の気兼ねもなく、酔っ払った。
「前から思ってたんだが、お前の家の写真、フェリックスばかりじゃないか」
呂律の回らない舌で、ミッターマイヤーはキョロキョロ見回しながら言った。ロイエンタールも自分の家をよく知ってはいたが、同じように目線を辿った。
「何かおかしいか?」
ロイエンタールには、ミッターマイヤーの言いたいことがわからず、首をかしげた。どちらもソファに沈み込むような体勢で、お互い歳を取って酒に弱くなったな、と笑いあった後のことだった。
「何がおかしいってお前。お前の写真がないじゃないか?」
ヒックとしゃくりあげた後、ロイエンタール自身を指差した。
「俺の写真なぞいらん」
「・・・お前な。そういう意味じゃなくって、二人の写真がないって言ってるんだ俺は」
「二人の写真?」
「今度、俺が撮ってやろう」
ソファにバタッと倒れこみながら、ミッターマイヤーはこの話を終わろうとした。ロイエンタールはようやく合点がいき、親友の気遣いを有難く思ったが、これまでも何度かチャレンジしたが、フェリックスを抱き上げて、いざカメラを向けられると、妙に落ち着かなくてうまくいかないのだ。それでもミッターマイヤーは何度も撮ろうとしてくれる、そんな気持ちがロイエンタールには嬉しかったが、やはり写真は苦手だった。
「・・・フェリックスには、お前がいるもんな・・・」
「何だって?」
ソファの肘掛に顔を埋めながら呟かれた独り言は、ロイエンタールにも聞こえが気がしたが、意味がわからなかったのだ。どうも、俺より酔っていると感じたロイエンタールは、親友を寝せようと向かいのソファに近づいた。
「おいミッターマイヤー。もう寝ろよ」
「・・・帰れない」
「泊まっていけよ。客室もあるが、フェリックスのベッドでも貸そうか?」
ロイエンタールがため息をつきながら言った言葉に、ミッターマイヤーはオウム返しのように呟き顔を上げた。
「フェリックスのベッド・・・」
どこか焦点の合わない親友が心配になり、慌てて「冗談だぞ」と両腕を引っ張った。立ち上がらせ肩を貸して、ロイエンタールは客室に連れていった。
「フェリックスのとこがいい・・・」
耳元で小さく訴えたミッターマイヤーの希望を不思議にも思ったが、自分が言い出したことでもあり、取り敢えずそちらに連れて行く。フェリックスがロイエンタール家に引き取られたとき以来、彼の部屋に入るのは初めてだった。
二人して、子ども用のベッドに倒れこんだ。勢いがあり過ぎて、ロイエンタールは頭から倒れ、しばらく二人で折り重なっていた。
「・・・お前、こんな狭いベッドでいいのか?」
ミッターマイヤーは、ロイエンタールの肩に回した腕をそのままに、そして聞いてくる質問にも答えなかった。
「一緒に寝ようぜ、ロイエンタール」
「・・・お前な。それなら大きい方がいいじゃないか」
ロイエンタールは打った後頭部をさすりながら、ため息をついた。
「いいじゃないか。お前、ここでフェリックスと寝てるんだろ?」
再びため息をつき、体勢を立て直したロイエンタールは、ミッターマイヤーと向かい合うしかなかったが、そのためには体を斜めにすることも出来ず、長い足を宙に放り出していた。
すぐ横に親友の体温を感じ合うのは、ミッターマイヤーが独身のときからなく、本当に久しぶりの感覚を二人とも静かに懐かしんでいた。
「なんだか、懐かしいな・・・」
ロイエンタールの肩口に額を押し付けながら、ミッターマイヤーは目を瞑った。
「そうだな」
ゆっくりと目を閉じると、そのまま寝そうなくらい心地良かった。ベッドの窮屈さも、酔っ払いの熱い体温も気にならなかった。
「・・・フェリックスの匂いがするな」
「そうか? まあここは奴の部屋だからな」
「お前の匂いもする」
ミッターマイヤーが顔を上げて、自分の表情を見ているのを意識しながら、ロイエンタールは目を開けなかった。
「それは、俺が今ここにいるからだ」
意地っ張りな親友に、ミッターマイヤーはクスクス声を立てて笑った。
「お前さ、一緒に寝てるんだろ?」
「・・・たまにはな」
「本を読んであげるんだろ?」
「・・・頼まれたからだ」
「子守唄、歌ってやるんだろ? 俺、聞いたことないぞ。歌ってみてくれよ」
「・・・お前はそんなもんなくても、眠れるだろうが」
ロイエンタールは質問責めに耐えていたが、これには自然と赤面してしまい、顔を逸らした。フェリックスがしっかり起きているときに歌ったことはなかったのだ。なので、こればかりはばれていないと思っていたのに、と驚いていた。
このとき、ミッターマイヤーが泣き出しそうな寂しそうな笑顔を向けていたことを、そっぽを向いていたロイエンタールは知らなかった。
「フェリックスには、お前がいるんだな」
先ほども聞いた、その短い言葉に、ロイエンタールはハッとした。暗い部屋の中で表情ははっきりしなくても、口調や声のトーンで伝わる気持ちがあったのだ。ロイエンタールには、今ミッターマイヤーが寂しいと感じているようにしか、その呟きは聞こえなかった。
そんな視線を感じたのか、ミッターマイヤーは一度顔を上げたが、またすぐにうずくまってしまった。
「お前にフェリックスを返したのが嫌とか、そういうんじゃないけれど。でもすっかり仲良くなっちゃって。そりゃそうだよな。本当の親子だもんな。わかってはいるんだけどさ。でもお前たちを見ているとさ・・・」
その先は言葉にはしなかったが、ロイエンタールにもわかった気がした。
自分の願いをきいてくれた親友は、突然養父となり、そして慣れないままも育ててくれていたのだ。無理な、無茶な頼みであったのに、とロイエンタールは反省する。それだけミッターマイヤーを信頼しているからだ、とも言えるが、最も手のかかる時期を生みの母に任せ、その後も言葉を発するまで(自身の怪我が治り、フェザーンで勤務できるまで)ミッターマイヤー夫妻に育ててもらい、自分はだいぶ手のかからなくなった頃、そして誰もが可愛いと思う頃、たった一言でさらってしまったのだ。今でも父母として気にかけてくれる隣人に、ロイエンタールは感謝の言葉を持たなかった。いくら綴っても、伝えきれない気持ちだったのだ。
「ミッターマイヤー、お前がいてくれたから、俺は父親になれた」
蜂蜜色の髪の後頭部に話し掛けたが、親友は顔を上げなかった。
「お前がいてくれたから、フェリックスがあんないい子に育ってくれた。あんなフェリックスだから、俺も父親と呼んでくれる。素直でまっすぐで、愛されるということを知っているから、愛することも自然に出来る」
親友が自分の我が侭をきいてくれたから、すべてはそのおかげだとロイエンタールは言葉にしたかったのだが、結局うまく伝えきれないと感じていた。
先ほどのように、柔らかな蜂蜜色の髪をロイエンタールの肩に乗せ、額を肩口に強く押しつけたまま顔を上げない親友を見つめ、ロイエンタールは口を噤んだ。真っ暗な闇の中、シーンとした静かな、こんな瞬間でも二人は話さなくても通じるものがあり、お互いが後悔と反省と感謝の思いを持っていることをわかっていた。だから、二人ともそれ以上何も言わなかった。しばらくして、ロイエンタールはミッターマイヤーの両頬を両手で包み込み、顔を上げさせた。ミッターマイヤーはきつく目を閉じたままだった。その瞼に、触れるだけのキスを贈り、その後首を傾けて口付けた。
「Bitte nicht tranen. Jetzt wird gechlafen.」
低く優しいテノールが囁き、ミッターマイヤーがグレーの瞳を見せたとき、ロイエンタールは目を閉じて枕に顔を埋めていた。子守唄まではいかないが、ロイエンタールがどんな風にフェリックスと眠るのか、垣間見たような気がした。泣いてはいなかった自分を慰めて、その人に穏やかな眠りが訪れるよう呟く親友。ミッターマイヤーは、「あのロイエンタールが」という何度目かわからない言葉を思いながら、寂しく感じても、この親友父子が幸せになってくれる方がいい、と心の中で思っていた。歳を取っても変わらない美丈夫の寝顔を見つめながら、ミッターマイヤーは静かに目を閉じた。
二人の息子の狭いベッドで、折り重なるように、静かな朝を迎えていた。
「あーーーーっ!!」
という、フェリックスの大声で、静かな朝は破られた。朝、というには日はすでに高く、ロイエンタールもミッターマイヤーも驚きで、文字通り飛び起きた。
「あれ? フェリックス・・・」
二人は起きあがろうとしたのだが、その狭い範囲の中で頭をぶつけ合い、しばらくベッドから降りられなかった。そんな父親たちの姿に、フェリックスはふくれっ面をした。
「なんで二人とも俺のベッドでー!」
叫びながら、フェリックスはベッドの中に飛び込んできた。怒っているというよりは、自分のいないところで自分以外の人に優しくし合っている姿が気に入らなかったのだ。
「ずるいっ!」
この一言に尽きたのだ。
これまで、どちらの父親にも気を遣っておとなし目だったフェリックスが、心おきなく甘えて、独占欲を見せるようになった、とひそかに安心していたことを、当のフェリックスは気付いていなかった。こんなフェリックスに怒鳴られても、二人ともいい気分にしかならず、笑い合って飛び込んでくるフェリックスを受け止めた。
「おかえり、フェリックス」
この言葉は、穏やかな日差しの中で見事なハーモニーを響かせた。
何度も言っておりますが、ワタクシ独語、詳しくないです。
点々(?)も付いてないですゴメンなさい。
でもな〜このセリフを日本語では書けないなぁ・・・(笑)
2000.9.8 キリコ
この次の話はイタイ系だと思われます。
ご注意下さいませ(;;)