オスカーとフェリックス
    =ファーターの呟き=

 ミッターマイヤー一人称です(^^)

 

 

 妻エヴァンゼリンに頼まれて、隣人のロイエンタール父子を夕食に誘いに行く。隣りといっても、玄関が交差点のこちらと向こうで、結構な距離だ。平和な街中、穏やかな気候を楽しみながら、休日をのんびり過ごし、その時間を分かち合いたい相手を迎えに行く。短いが楽しいお使いだ。
 数年前、ロイエンタールがノイエ・ラント総督であったとき、こんな日が訪れるとは想像も出来なかった。そのことを思うと、本当に心からホッとする。嬉しいと思っている。長年の親友が戻ってきてくれたことを、本当に喜んでいる。いや、今のロイエンタールは、かつての彼とは違う。だが、変わってもロイエンタールだ。俺が彼を好きなことには変わりない。もちろん彼が戻ってきたことで、辛かったこともある。引き取っていたフェリックスを、手放さなければならなかったことだ。俺は、俺なりにフェリックスの父親になろうと努力していたし、もちろんエヴァもだ。けれども、実の父親が、それもあのロイエンタールが、真剣で必死で、しかもその存在を生き甲斐として、フェリックスを育てたいと言ったとき、俺には断ることは出来なかった。フェリックスのおかげで、ヴァルハラに行かずに戻ってきた親友は、それこそ盲目的に彼を可愛がっている。今ではそんな父子を見つめるのは楽しいと思う。

 玄関は鍵が掛かっており、ドアベルにも反応がなかった。出かけているのかとも思ったが、裏手に回ってみることにする。勝手知ったるもので、1年もそばで暮らしていると、こんなことも気兼ねなく出来る。ガラスで出来たドアは風通しのためか開いており、俺ではなくても入れる。物騒だとも思うが、この帝国で、かのオスカー・フォン・ロイエンタール邸に泥棒に入ろうとする輩がいるとも思えなかった。暗殺に来る輩も、今のところ居るまいと思う。

 風と同じ流れでゆっくりと入り、親友とその息子の名を呼ぶ。だが、反応はない。静かに廊下を渡り、広い階段を上る。開け放たれた部屋のソファに二人を確認する。世にも珍しい姿を見ることになるとは、俺にも予想が出来なかった。
 大きなソファに、折り重なるようにして眠る父子の姿は、いつか見たことのある宗教画のようで、芸術提督の言葉を借りなくても「美しい」という表現は出来る。ロイエンタールは長い腕を息子の背に回し、大事そうに緩く抱きしめている。フェリックスは広い胸に顔を埋め、父親にしがみつくように全身で抱きついている。その表情は、どちらも本当に穏やかで、きっとフェリックスに話したら、驚くに違いない昔の父について、思い出す。
 ロイエンタールは、あまり熟睡しない質だった。人と一緒に眠るのを嫌がり、寝顔を見せるのを極力避ける奴だった。きっとあまり人に気を許すことが出来ず、どこか他人を遠ざける男だったのだと思う。ロイエンタールと一緒に眠るのは、俺だけだと思っていた。フェリックス、俺が知る限り、ロイエンタールが安心しきって眠るのは、お前が二人目じゃないかと思う。
 穏やかな眠りを妨げるのも、と思い、向かいのソファに座ってじっと見つめる。これだけ気配を漂わせても、ロイエンタールが目覚めないのが不思議で面白くて、やはり珍しい寝顔を凝視してしまう。
 父親の髪はダークブラウンだが、今は日の光に当たり、明るく見える。一人息子の髪は元から明るいブラウンで、あまり思い出したことのない母親の色なのだろうか、と考えてしまう。瞳は、どちらも成層圏の色だ。父親の右目はそうではないけれど、スカイブルーは本当にそっくりだ。
 いつだったか、フェリックスが俺に言ったことがある。
「ねぇファーター。僕、オスカーの子なんでしょう?」
「ああ。なんだ? 突然?」
「大きくなったら、あんな顔になるのかな…」
「きっとオスカーに似て、格好良くなるぞ」
 俺はそう言って笑った。フェリックスは、自分が父親に似ていると思えなかったらしい。今から思えば、もっと具体的に説明してやれば良かったと後悔する。
 例えば、手だ。大きさこそ違うが、今俺の目の前にある2ペアの手は、本当によく似ている。指や爪の形、手のひらをじっくり見比べたことはないが、きっとそちら側から見ても似ているのだろう。そんな小さなところが、オスカーとフェリックスが、紛れもない父と子であることを教えてくれる。フェリックスは、きっと大きくなったら、父親に似た長身の美丈夫に育つのだろうと思う。
 また逆に考えると、俺すら知らない幼いオスカー・フォン・ロイエンタールはこんな感じだったのかな、と想像出来る。父親の呪詛を子守唄に育った、と話していたロイエンタール。そのときの辛い思いを完全に忘れていないに違いない。しかし、今は覚えているからこそ、フェリックスを大切に出来るのだろう。自分と同じ思いをさせたくなくて。
 「父親になる資格がない」と言っていたロイエンタールに教えてやりたい。両親が揃い、温かい家庭に育った者だけが親になれるわけではないのだ、ということを。失敗や後悔は、きっと人間を育てる。俺は、寂しい思いをしてきたお前だから、フェリックスの父親になれると信じている。

 どのくらい考え事をしていたのか、ふと気がついたとき、ヘテロクロミアと目があった。いつからこちらを向いていたのか知らないが、不法侵入者に特別怒っている風でもない。照れた笑顔を浮かべると、親友も唇の端だけで笑う。声を出すとフェリックスが目覚めてしまうのを気にしているようだった。
 俺はほとんど声を出さずに話した。
「エヴァが夕食にって」
 ロイエンタールは、形の良い眉をひょいと上げて驚きを示して見せ、それから先ほどとは違うちゃんとした笑顔になった。きっと了解という意味なのだろう。
 俺は出来るだけ静かに立ち上がった。ロイエンタールは全く動こうとしないし、フェリックスも気づかないようだ。きっと彼が自然に目覚めるまで昼寝させるつもりなのだろう。
 そんな素敵な空間と時間を邪魔しないように、俺は入ってきた窓から出ていき、妻と娘が待つ家までの道のりをまた一人歩いた。先ほどまでとは違った、ちょっとした寂寥感を感じながら。

 

  

 


2000.7.31 キリコ

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