今話29

   

 中古車を購入した2人は、慣れることも兼ねてドライブに出かけた。免許は取ったものの、ほとんど運転していない。車社会のこちらでは、もっと若い子たちが運転しながら学校に通っているのだ。
「ドライブって…いいな…」
「……そうか?」
「…なんつーか……デートみてーだし」
 新しい単語が出てきて、助手席にいた流川は花道の方を向いた。
「でよ、こう大声出しても周りに聞こえねぇだろ」
「……大声出したいのか?」
「…叫びたくなったら…クルマに乗るかな…」
 花道は少し首を傾げた。
「電車とかだと、日本語で話すのもなんか目立つだろ?」
「……そうか?」
 花道の言う電車の中での会話も、ほとんど花道が話している。だから、流川にはそれほど気にならない。それよりも、花道が周囲の目を気にしていることのほうが意外だった。
「ふっふっふっ オレ様は有名人だからな…」
「……どこからそんなカンチガイを…」
 大きなため息をつくと、花道が怒鳴った。なるほど、こういう声は外には漏れないのだ。
「…桜木…帰りはオレが運転する…」
「……わかった」
 2人は車が買い出しに便利だと気が付いた。日本食のスーパーにも行ける。たくさん荷物を買っても大丈夫だ。
「…便利だな…」
「……事故るなよ…」
「オレたちは大事なカラダだからな!」
 そう言いながら、花道はアクセルを踏んだ。

 本格的に忙しくなる前に、2人はこれまで関わった人たちに挨拶に出向いた。流川のバイト先では、いつか有名になったときは流川がバイトしてたお店と看板を出すと励まされた。よく車を貸してもらった留学生は、卒業が決まり帰国準備に入っていた。こちらでの数少ない日本人の友人と呼べたので、残念に思えた。ボランティア先では、子どもたちの熱烈歓迎を受け、保護者にたくさん写真を撮られた。
「こうして会えるうちにサイン頂戴よ!」
「………サイン?」
 そんなものは考えていなかったので、花道も流川も戸惑った。とりあえず、ごく普通に名前を書いたら、それはそれで価値が出るかもと笑われた。
 花道は、英会話レッスンを止めることにして、バスケ以外の友人たちに挨拶をした。
 そんな中、2人のチームメイトだった選手と花道の友人との結婚式があった。花道と英語レッスンを受けていた女性で、チームのパーティに喚んだことがきっかけだったらしい。
「オレって、キューピッド?」
 まだリーグ中にそんな話をしていた。
 自分が誰かと誰かの仲介をすることがあるとは思いも寄らなくて、とても喜んだ。結婚式には、花道はもちろん、元チームメイトとして流川も喚ばれていた。
「…前もこんな感じだったのか?」
「……いや…オレが知ってる3回とも…いろんな感じだ」
 日本での結婚式もあまり知らないけれど、こちらでは自由度が高い気がした。
 結婚式は、ホームパーティだった。最下位チームに所属していたけれど、元NBAの選手だったチームメイトは、豪邸とまではいかなくても大きな家に住んでいた。その庭で、結婚式と披露宴が執り行われた。
 芝生の上を歩いていて、流川はこれがごく普通の一軒家なのかと心から驚いた。日本とのスケールの違いに圧倒される。お金にはさほど興味はないけれど、NBA選手にはこれだけの年俸があるのだ。自分たちは徐々にいい家に移っている。いつか、こんな豪邸に住めるようになるだろうか。もちろん、豪邸を目指しているのではないけれど。
 6月のジューンブライドは、こちらの季節には相応しい時期だと思う。暑すぎず、風も爽やかだった。色とりどりの花に囲まれた、白いドレスの花嫁を見て、流川は本当に結婚式だなとようやく認識した。
 綺麗に張られたテントの下で、結婚式が始まった。招待客は新郎新婦の写真やビデオを撮ろうと、前へ前へと集まっていく。テントの端で、流川も花道も自分たちの背が高いことを有り難く思った。
 花道が、テントの一番角のテーブル辺りに立とうと促してきた。自分たちが一番後ろになる。見えるけれど、遠ざかる理由がわからなかった。
 静かな神父の声を聞こうと耳を澄ませるけれど、実際にはシャッター音や動く衣擦れの音ではっきりと聞こえない。それでも、流川も聞いたことのある挨拶が始まっている。
 テーブルの上に置かれたキャンドルやお皿で隠れるギリギリのところで、花道は流川の右手をギュッと握りしめた。
「…桜木?」
「……シー」
 静かにという合図をした後、花道は、じっと新郎新婦を見ていた。
 それからしばらく黙っていた花道が、突然小さな声で呟いた。
「……誓います…」
 流川は目を見開いて、花道の方を見た。花道は笑顔を流川に向けて、首を何度か新郎新婦に向けた。どうやら、次は流川の番、と訴えているらしい。
 まさかとは思ったけれど。自分もやはり言わなければいけないのだろうか。
「…オレも言えってか?」
 花道はすぐに哀しそうな顔をした。そして、考える暇もなく、流川の、つまり花嫁の誓いの言葉が始まってしまう。
「ち……ちかいま…す…」
 ものすごく躊躇いがちに言ったのに、花道は笑顔になった。
 最後に「アーメン」と呟いて、指輪の交換も誓いのキスも出来ないと唇を尖らせた。流川はその様子に、心の中だけでため息をついた。お祝いの席で不謹慎だと思ったから。
 パーティが落ち着いたいたのは最初だけで、最後には花嫁も一緒に踊っていた。陽気な結婚式に、流川はやはり圧倒された。

 その夜、花道は機嫌が良かった。
 けれど、ふとんに入ってくるなり、流川に巻き付いて謝った。
「…ルカワ……ヒト様の結婚式に便乗して…すまねぇ…」
 流川は意味がわからなくて、花道の目をじっと見つめた。
「その……これがホンバン…ってわけじゃねぇけどよ……」
 では予行演習だったというのだろうか。あの「誓います」は、やはりその意味だったのか。
「…オレな、アレ…スキなんだ。病めるときも健やかなるときも…えーと、カネがあってもなくても、共に支え、尊敬し、愛し…慈しみか?…死ぬまで誓いますか…だったっけか…」
 花道は好きだと言いながら覚えていない自分を笑った。流川も花道のくだけた表現に、心の中だけで笑った。死が2人を分かつまで、という言葉を聞いたことがあった。
「でな、思ったんだけどよ…英語より日本語の「誓います」の方が…なんか響きがいいな…」
 それは日本人だけが感じることかもしれないと、流川は相変わらず黙ったままでいた。
 この楽しそうな花道に水を差すのは悪いかもしれない。けれど、いつまでも真実を知らないのも良くない気がするのだ。ただ、教会が好きと言っていた花道には、余計なことだろうか。流川はしばらく悩んだ。
「…桜木……言いにくい…けど」
「…なんだ?」
「……教会って…全部かどうかは知らねーけど……オレたちみてーのは…ダメだって…知ってるか?」
 流川が選んだ言葉では、花道には伝わらなかった。
「……どういうことだ?」
「……たぶん……教会は、同性愛はダメな…はず…」
「………どうせいあい?」
「…ゲイの結婚じゃなくて、ゲイそのものが…神が許さないとか…そういう…だったと…」
 ようやく飲み込めてきて、花道は流川を抱きしめていた腕に力を込めた。
「イテッ」
「あ…すまねぇ…ルカワ……なあ…男同士の結婚は…ダメ?」
 そうではなく、存在そのものがいけないと流川が言ったのを、花道は理解しただろうか。
 花道は、どこか遠いところを見る目をして、しばらく考え込んだ。
「ちょ、ちょっと待てよ…ルカワ…」
「………なんだ…」
「それじゃあ………オレたちはどこで式を挙げればいいんだ?」
 流川は全身が脱力した気分だった。けれど、花道がこういう突拍子もないことを言うとき、花道の真剣さを窺うことが出来て、流川は心が温まる。それにしても、花道は、自分たちの関係が大っぴらに出来ないことはわかっているらしいのに、どうして式を挙げようなどと考えるのだろうか。
「…桜木…」
「…お、おう…」
「オレは…ココにいる」
 ゆっくりと、指輪を填めた左手を差し出した。
 そばにいて、こうして指輪を交換し、互いが大事にしている。あとは、言葉通り、どんなときも助け合えばいいのではないかと、流川は思っている。
「…ルカワ……やっぱりホンモノの指輪がほしいのか?」
 どうしてそういう話になるのだろうか。流川は自分の言葉が足りなかったことと、花道のずれた考えとを両方責めた。
「指輪はあるだろ。テメーもココにいる。一緒にいる。オレは、式はイヤだ」
「………なんで?」
 その夜は、花道には驚くことばかりだった。疑問が解けるまで、花道は流川に何度も問いつめるので、流川はなかなか眠りにつけなかった。

 

 それからほどなく、2人は新しいチームの合流することになった。顔合わせはしていたけれど、全員とコートで会うのはこれが初めてだった。
 更衣室で、すでに彼らが存在しないかのような無視の待遇を受けた。それでも流川も花道も落ち着いて着替え、体育館へ向かった。
 体育館の入り口で、2人は一度立ち止まった。中からはライバル視されたきつい視線が飛んでくる。2人にとっては、ライバルと敵視される方が心地良かった。
 花道は、意気込んで、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「…怖じ気づいたか? どあほう…」
「…ふん……オメーこそ…」
 流川は口の端でニヤリと笑った。前向きな戦いならば、いくらでも挑める気がした。きっと一人でも立ち向かえるけれど、今は天才コンビを組んだらしいパートナーがいるのだから。
「い、行くぜ…ルカワ!」
「……エラそうに…」
 2人は同時に体育館に一歩を踏み出し、ゆっくり堂々とコートへ向かった。

 

 

 

おしまい(^^) 

2008.11.14 キリコ
  
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