ドクター
二人きりのクリスマス
この年のThanks Giving Dayは、ロイエンタールもミッターマイヤーも進んで夜勤に入った。
家族で感謝する日である。
父親が七面鳥を切り分ける日である。
今は、そんな気分になれない二人だった。フェリックスがエルフリーデの元へ行ってから、2週間が過ぎた頃には二人で家にいることが出来るようになっていた。
しかし、12月に入ってすぐのある日、オフだったミッターマイヤー、家に一人でいたくなくて出勤してみたが、あまりに暇さに追い返され、また戻ってきた。街の中へ買い物に出ても、クリスマス前ということもあり、家族で歩く姿がよく見かけられ、それを見ることも、今は辛かったのである。リビングのソファに気の抜けたような顔で座っていると、フェリックスが一緒だった頃の生活がまざまざと浮かんできて、今頃どうしているのか、元気でいるのか、気になり考えてしまった。
ロイエンタールもミッターマイヤーも、フェリックスに新しい家族が出来たことで、自分たちはもう関わらない方がいいと話し合い、エルフリーデやシェーンコップに決して連絡を取らなかった。
かすかに太陽が見える天気の中、明るいリビングの中で、突然ミッターマイヤーは、フェリックスに会いたくなって、写真を広げだした。後からきっと後悔する、と自分に言い聞かせながら、しかし会いたいという気持ちの方が上回った。
ロイエンタールもミッターマイヤーもそれほど写真に興味があったわけではなかったが、フェリックスのものだけはたった2年の間にものすごい量になっていた。
それは、小児科医として病棟にいるとき、患者自身、または患者の家族から、「子どもは日々成長する」ということを聞かされ、また自分の目でも確かめていることだったのだが、写真やビデオを撮っておくことを勧められたのだった。子どもというのは、あっという間に大きくなってしまうし、毎日違う顔をしているのだ。日々写真を撮るということはなくても、ミッターマイヤーは普段の何気ない写真をたくさん撮るようにしていた。
そして、どんどんたまる写真を整理することは、これまであまりなかった。
写真を撮ってあっても、それよりも生き生きとした温かい実物が目の前にいたのである。写真を見なくても、そばにいるフェリックスを見ることが出来ていたのだ。
しかし今、フェリックスには写真の中でしか会えない。
ミッターマイヤーはそんなことを考えながら、ドクターとして、初めて子どもを失った親の気持ち、というものを垣間見た気がした。フェリックスは生きているが、これがもしもこの世からいなくなっていたのだとしたら、と怖い想像をし、ミッターマイヤーはそんな考えをした頭を大きく左右に振った。段ボールに無造作に放り込まれていた写真を、一度にテーブルの上に広げたミッターマイヤーは、小さなため息をつき、端から順に見ながら、分類していった。
しかし、分類といって、あまりにもそれぞれが多すぎて、または日付の入ってないものもあり、どこに入れれば良いのかわからないものもあった。
1枚1枚に思い出がありすぎて、作業は全くはかどらなかった。
「こんな顔してたっけ」
「うわっ! 凄い顔…」
「この写真…大きくしたら綺麗だろうなぁ…。」
等々、独り言を言いながら、ゆっくりじっくり見ていた。
確かにこの2年で、大きく成長していた。
「こんなに小さかったっけ…?」
フェリックスが来たのは、フェリックスは4ヶ月に入った頃であり、まだミルクのみで小さなカゴに入っていた。初めて写真を撮ったのが、来てすぐのお正月だった。にわか父親たちの面倒でも、そのまま順調に成長し、あっという間に歩けるようになっていた。そうかと思うと、言葉を発しだし、最近では2語文は話せるようになっていた。例えば、「くるまブーブー」といったような…。
この家からいなくなる前に、最高の言葉だと笑ったのが、
「オスカーかわいい」
だった。
もうすぐそばからいなくなる愛しい息子を、二人して取り合って抱きしめたものだ。
また、いろいろな遊び道具とともに、写真に写っていたが、フェリックスはよく聴診器で遊んでいた。病棟で壊れたものを持ち帰ったのだが、遊ぶ分には十分に役に立ち、フェリックスの耳にはめて丸い部分をフェリックスの心臓にあてて見ると、首を傾げてキョトンとしていた。自分のトクトクという音が何なのか、フェリックスはわかっていただろうか。その音こそ、フェリックスが生きている証拠だったのだ。また、そこに話しかけると、父親の声が耳に直接、しかも不思議な低い声で聞こえるので、ますます首を傾げた。そんな姿が楽しくて、何度もやって遊んでいた。
ミッターマイヤーは何時間も写真を見ていた。
しかし、途中から全く手は動いていなかった。手に持っている写真を見つめてはいるのだが、焦点は全く合っておらず、しかも曇りガラスのように霞んでいた。その曇りを取ろうと瞬きすると、写真の上に、大きな丸い滴のあとが出来た。
帰宅したロイエンタールがリビングで座り込んでいるミッターマイヤーの横に座り、上からのぞき込みながら「ただいま」と言った。
その声に、何度か瞬きをしたのか、滴がポタポタ音を立てて写真や膝の上に落ちた。
「ウォルフ。何してるんだ?」
優しいテノールで、柔らかい蜂蜜色の髪を梳きながら尋ねた。テーブルの上はフェリックスの写真だらけだ。何をしていたか、聞かずとも想像はついた。
「…うん。写真の整理しようと思って…」
涙しながら、何とか笑おうとしたミッターマイヤーは、鼻をすすり上げながら顔を上げた。
蜂蜜の色の髪の毛よりもやや濃い色の睫毛が、涙で憂いを含み、それでも澄んだグレーの瞳にロイエンタールはめまいがしそうだった。
ミッターマイヤーの目の前にある金銀妖瞳は優しく光り、その手はゆっくりとミッターマイヤーから写真を取り上げた。そして、涙がやっと頬を伝わった赤い顔を両手ではさみ、瞼に静かにキスをした。
ミッターマイヤーは息をのんだ。
おそらくミッターマイヤーなりに涙を止めようとしていたところに、恋人に優しくされ、それが不可能になりそうだったからだ。
温かい口づけを受けながら、ミッターマイヤーは涙が止まらなかった。
ロイエンタールは悲しむ恋人を腕の中に引き入れ、その背中を撫でさすった。
「…ウォルフ…」
「…う?」
ミッターマイヤーは鼻をすすり直し、返事にならない返事をした。
「俺といると、涙腺が忙しいな」
その言い方に、ミッターマイヤーは苦笑し、プッと吹き出した。そして、またグレーの瞳が涙であふれ出した。
「お前のせいじゃない。俺が泣き虫なだけだ」
ミッターマイヤーは泣きながら、クスクス笑った。
ロイエンタールは、黙ったまま髪を梳き、背中を撫で、恋人を強く抱きしめた。
思い出に涙しながらも、時間は同じように過ぎていった。
そして忙しさに時間が流れ、クリスマスが近づいてきた。
この1ヶ月、働き続けたロイエンタールとミッターマイヤーは、クリスマスに休みを取ることにした。クリスマス当日、一緒に買い物に出かけ、帰宅途中にミッターマイヤーはロイエンタールに話しかけた。
「なぁオスカー。気づいてたか?」
「…何がだ?」
「俺達が、その…こうなって、二人でクリスマス迎えるの、初めてなんだ」
ミッターマイヤーは吹雪の中、ロイエンタールの腕に自分の腕を絡ませていた。
そして、俯きながら、クスクス笑っていた。
その言葉に驚いたロイエンタールは、目も開けにくい雪の中、隣りの恋人を見ながら、
「そうか。気づかなかった」
と、素直に認め、一緒に小さく笑った。クリスマスは、家族で過ごすものだ。
ロイエンタールはウォルフガング・ミッターマイヤーという恋人であり伴侶と思っている、かけがえのない人と一緒に過ごせることを、心から喜んでいた。
恋人になる前も、二人とも一人暮らしであったし家族もそばにいなかったので、一緒に過ごすことは多かった。クリスマスといっても、特別なことは何もしなかった。ただ、気分がディナーになるようにだけは工夫していた。部屋は、ろうそくの明かりで灯されており、二人とも準正装であった。
ミッターマイヤーは乾杯の前に、ロイエンタールに頼みがあると、躊躇いながら言った。
「何だ? 言いにくいことなのか?」
ディナー用の衣服で、似合いすぎるほどかっこよく座っていたロイエンタールは、そわそわした恋人を見ながら苦笑した。
ミッターマイヤーは、自分の背中から写真立てを出した。
「今日だけ…、ここに置いてもいいか…?」
今は家族と呼べなくなったフェリックスだが、遠く離れていても気持ちは息子である、とミッターマイヤーは言いたかったのだ。そして、フェリックスを忘れようとしていたかもしれないロイエンタールの気分と自分とが食い違っていることを恐れたのだ。
その申し出に、ロイエンタールは遠くを見るような、憐れんだ瞳を見せ、眉を寄せた。
「…ありがとう。ウォルフ」
ロイエンタールは、心の底からお礼を言いたい気分だった。
自分には、ミッターマイヤーのような勇気が出なかったのだ。
そして、ミッターマイヤーの気持ちが嬉しくて仕方がなかった。小さな乾杯のあと、二人ともフェリックスにも、と、テーブルの上のフェリックスにグラスを傾けた。
久々に談笑出来た二人は、食後のデザートにケーキを食べた。
それは、二人で食べるには大きいものだったが、二人ともこれがいい、とお店で選んだものだった。自然と3人分と考えるくせが、まだ抜けていないのだった。「オスカー、あーーんして」
ロイエンタールは、恋人のこの一言に、眉を思いっきり寄せた。そして、目の前に来ているフォークに取ったケーキに視線を集中した。
「何だ。ウォルフ?」
「いいから、あーん」
そう言いながら、自分の方が口を開け、まるで小児科外来で子どもに口を開けて、と言いながら見本を見せているかのようだった。
ロイエンタールはしばらくじっと見つめていたが、自分が口を開けない限り引っ込まなさそうな様子に、しぶしぶ小さく口を開けた。
しかし、その口はケーキを含みきるには小さくて、生クリームなどが唇の周りにたくさん残ってしまった。
その感触にロイエンタールは、ますます眉を寄せ、ナプキンで拭おうとした。
その手をすかさずミッターマイヤーが止めた。
「待った。オスカー」
「…今度は何だ?」
その腕を握りしめたまま、ミッターマイヤーは席を立ち、生クリームまみれの恋人の膝の上に座った。
突然の大胆な行動に、抵抗する暇もなく、ロイエンタールはミッターマイヤーが自分の唇で頬を清めようとしていることに気が付いた。
ごく至近距離で、ミッターマイヤーは目を瞑り、まるで犬が舐めるように、下でぺろっと最後のクリームを舐め取った。
ようやくすべてのケーキを取ったミッターマイヤーはグレーの瞳を開き、恋人の金銀妖瞳に目で訴えた。
その意味を理解したロイエンタールは、唇だけで微笑んでからそのまま目の前の唇にキスをした。
「愛してるよ。オスカー」
ゆっくりと、両腕をロイエンタールの首に巻きながら、はっきりと言った。
「俺もだ、ウォルフ。メリークリスマス、ウォルフ」
そう言って、優しいキスから深い熱烈なキスへ変わっていった。
二人にとって、フェリックスが出ていってから、初めての深い口づけだった。
1999.11.24 キリコ
2001.9.20改稿アップ
消防士 いただいた小説です。続きの前に読んでくださいまし!